八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県下野市本吉田971

祭神:譽田別命 境内社:愛宕神社・富士浅間神社・雷電神社(鳴雷神)・八坂神社・天満天神宮・火坊神社
旧地名:河内郡南河内村大字本吉田
文治四年1188小山判官朝政が鶴ヶ岡八幡宮より勧請して創建。小山城の東北に当たり鬼門守護の役割を果たした。元亀二年1571晴朝が社殿改築と伝わるが別当寺報徳院が何度も火災に遭って古文書宝物が失われているので詳細は分からなくなっている。明治五年1872郷社指定。
鬼怒川に注ぐ江川の西380m,35号線沿いに鎮座。
槻=ケヤキの老樹が新芽を吹いている。銅鳥居に続いて生産貯蓄組合奉納の大正十二年1923石鳥居。
拜殿に昭和四十一年1966「吉田八幡神社社殿改修記念・献詠」17首が掲げられている。歌が詠めるうえに達筆ときてはもう脱帽。
本殿左手奥に天満宮と粟島神社。昔はここに雷電,八坂神社があった。
右手奥の大きい覆屋は琴平大神,小さい覆屋は富士浅間神社,となりの石宮は日光三社大神と疱瘡様。右端の覆屋は愛宕神社で地蔵尊が祀られている。
昭和四十一年1966八幡宮修理記念天水鉢。同年記念碑。
昭和43年1968寄進記念碑(農地補償法の成立で共有地に支払われる補償費を八幡宮維持基金に寄附することとなった経緯が刻まれている) 例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡 正八幡宮 吉田 宝徳寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 5巻46丁
河内郡吉田村大字本吉田鎭座 郷社 八幡宮 祭神 譽田別命 祭日八月十五日 建物本社間口一間奥行一間半 拜殿間口八間奥行四間 神饌所間口三間奥行二間 末社八社 華表一基 氏子七十四戸 兼社司上野喜重同郷上三川郷社白鷺神社社司
本社創立年月遼遠にして詳ならすと雖も往時徳川三代將軍家光より若干の社領を寄附せられ徳川將軍崇敬の社にして明治五年1872郷社に定めらる 社域二千四百五十五坪平坦の地にして社殿の巨大壯麗なるは郡内屈指の社にして境内には若杉森然として生ひ茂り神寂びて雅致あり

由来書 拝殿内
拜殿額 社殿改修記念・献詠
これも明治四十一年1908
本殿 昭和五十三年1978
  昭和四十一年1966 拝殿左手
  左手奥
天満天神粟島大神改築記念碑 本殿右手 琴平神社
琴平神社本殿 浅間・日光三社・疱瘡神 愛宕神社
愛宕神社の地蔵尊 広大な森 修理記念碑
寄進記念碑 35号線から 郷社八幡宮
献詠歌1に「槻芽吹き」とある なかなかのもの またまだ元気
一の鳥居から見たケヤキ 社務所 一の鳥居
一の鳥居 二の鳥居
【神輿舎・神楽殿・玉垣外の境内社】
玉垣手前左手は「神輿舎」で,年代物の神輿が納められている。
玉垣手前右手は神楽殿。脇の秋葉神社に平成十八年鳥居。石灯籠は年号が読めないが「秋葉山大權現」とあるので江戸時代のもの。秋葉神社と雷電神社が祀られている。昔は雷電神社は本殿の裏に祀られていた。その右手の石宮は稲荷神社と火防神社。
石段手前右手に天保四年1833湯殿山・月山・羽黒山
石段手前の石燈籠は推定文化十五年1818。
山道から見た神輿舎 神輿舎 神輿舎
見事な神輿 神楽殿と秋葉神社鳥居 神楽殿
神楽殿 神楽殿から 秋葉山大權現
秋葉神社と雷電神社
稲荷神社と火防神社 天保四年1833湯殿山 推定文化十五年1818
【石造手洗鉢】
玉垣手前,神楽殿横に「石造手洗鉢」が保存されている。台座正面に「宝永二乙酉天1705野州本吉田/奉寄進八幡宮(嚮?)○/九月吉日別當○徳○○○」の文字。側面にも「別當宝徳院」と彫られている。解説の杭のように宝永元申天1704と読む説(しもつけ市の文化財バーチャルミュージアム)があるが,酉天が読めるので宝永二年でいいだろう。字配りから「乙」も読めないことはない。栃木県ではめったにお目にかかれない時代もの,とても貴重な手水石である。
左の手水石は明治十三年1880,右の井戸は大正十三年1924奉納。
山道から見た手水舎 水舎
宝永元年と書かれているが… この面に文字が刻まれている 後ろから
  右側部分に「酉天」が読める 別當宝徳院
読めない 文字はない となりの井戸の中
八幡神社

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県下野市・別当河原94

祭神:譽田別命 境内社:稲荷神社(保食神)
旧地名:河内郡南河内村大字別当河原
元亀二年1571創建。
Google地図に誤って今宮神社で載っているのがここ八幡神社。社殿内の提灯には八幡宮の文字。道路沿いに石宮があり交番の脇を西に入って幼稚園の西隣り。
例祭:11月15日
八幡宮
稲荷神社
両部鳥居 道路沿いの石祠
東権現

東権現神社

[ひがしごんげん神社]

栃木県下野市・下坪山87

旧地名:河内郡南河内村大字下坪山
明治二十六年1893本殿三面に漢字文で由来が刻まれている。
「後堀河天皇嘉禄元年1225結城朝▢▢城地焉地有九頭龍権現之祠神威赫々居氏尊崇焉朝▢▢▢分祀其三龍於上坪山日光三社権現其五龍於東根村坐王山遷方二十餘町之居民築城始成▢二年大蛇降城中▢個害城…合祀…曰東権現…嘉吉元年1441」
読めそうで読めなくなっているところがあって苦労するが,嘉禄元年1225創建で龍神を祀り,その後付近の社を合祀して東権現と名乗った。嘉吉元年1441以下が読めない。権限のある方がこすって洗えばまだ十分解読できるだろう。
昭和54年1979的場自治会建立の石鳥居。
昭和56年1981社号標裏面に「坪山城跡は当地より西南方約三百米にあり 当社は城の守護社であった」と彫られている。
本殿
由緒沿革
社号標 坪山城址… 西南
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県下野市・下吉田13-2

旧地名:河内郡南河内村大字下吉田
祭神:倉稲魂命 境内社:八坂神社・八幡神社・猿田彦神社
田川が鬼怒川に合流する手前の鬼怒川堤防下に鎭座。見つけるのに苦労しました。
本殿は二社祀られている。右手の覆屋に境内社三社。うしろに天明四年1784庚申供養塔,嘉永六丑年1853七ッ講中地蔵尊など六基が並ぶ。藁宝殿四つ。
入口に二十三夜塔。
すぐ西を流れる田川の橋に草鞋のような藁細工が竹棹に下げられ,下に「愛宕神社家内安全火災防除御祈祷大祓」が結んである。
例祭:11月13日
*『下野神社沿革誌』巻5-47丁(明治三十六年1903)
河内郡吉田村下吉田鎭座 村社 稻荷神社 祭神 保食命
建物本社間口一尺四寸奥行二尺 氏子二戸總代一員 兼社掌上野喜重
本社創立不詳 社域百三十九坪を有せり
すでに読めない 本殿
境内社覆屋
藁宝殿
 
二十三夜 見過しそうだ 田川
愛宕神社護符 中央:鎮座の杜 少し北
弁財天神社 隣接小山市の石祠

 

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