磐根神社

磐根神社

[いわね神社]

栃木県栃木市都賀町合戦場534

祭 神:磐裂神・根裂神・経津主神 配神:天照皇大神・須佐之男之大神
境内社:琴平神社(大物主命・大山祇命・日本武命)・稲荷神社(豊受姫命)・愛宕神社(軻遇突智命)・白鳥神社
旧地名:下都賀郡・都賀村大字合戦場字星の宮 家中村
慶長元年1596創建。後年社殿損壊するも安政六年1859再築。
江戸期には星宮大権現,虚空蔵様と称した。
ご祭神名は拝殿左手の貼り紙に書かれていて,命でなく神で表記してあるのでそれにならった。(『栃木県神社誌』平成18年版では経津主命は配神に,主祭神に大日孁貴命すなはち天照皇大神を記している。『下野神社沿革誌』は主祭神は貼り紙と同じ。)
宝暦十四甲子年1764石鳥居。
拝殿左手の朱鳥居は稲荷神社。となりの真新しい境内社覆屋には愛宕,琴平,白鳥神社。平成18年以降に合戦場761の白鳥神社を合祀したのだろう。
昭和二十七年1952旗杭。鳥居根元の切株に「磐根神社・表参道」と彫られている。
文政八乙酉年1825と明治四年1871石燈籠,明治十二年1879手水石。
拝殿に平成十年社殿屋根川原葺替工事奉賛御芳名額。
東武日光線合戦場駅のすぐ西の広大な森に鎭座する構えの大きな立派な神社。
2019/7/17参拝。
例祭:10月29日 4月29日 7月13日に近い日曜日に天王祭
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903刊 四巻-16丁
下都賀郡家中村大字合戦塲字星宮鎭座 村社 磐根神社 祭神 經津主命・磐裂命・根裂命 建物本社間口二間奥行二間瓦葺 拜殿間口二間奥行三間瓦葺 瑞籬延長廿間 石華表一基 末社三社 石燈籠三基 水盤一間四方一個 氏子百八十戸惣代六員 社掌新井正雄同村同大字十七番地住
本社創立は慶長元年1596九月十九日神祇伯白川殿の勸請にして神威赫灼なりしも歳月を経て遂に社殿破砕を來し安政六年1859中島正兵衛大川太郎助の兩氏の發起に依り本社再築の工を起し若林正一郎中島邦三郎後見役となり全氏子へ相謀り宮殿を再築して今の宏壯美麗なる宮殿とはなりぬ 本社奉仕の神職往古は詳かならす中古川津氏神職たりしか氏は元禄五年1692六月病没す 其后任田浪氏職を継き文政六年1823より新井恒貞安蘇郡より來りて其職を継き今に其子孫継続して本社に奉仕す 社域千百四十坪平坦の地にして老樹鬱々幽邃清雅塵懐自ら洗ふか如し
宝暦十四甲子年1764
拝殿左手 御祭神
構えの立派な神社
稲荷神社鳥居 稲荷神社
文字が書かれていた 手前に神殿狛犬
境内社三社
御神木 社務所
切株に 表参道
線路から 合戦場駅南から鎭座の杜 駅北から鎭座の杜
雷電

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県栃木市都賀町合戦場1007-6

祭神:大雷神
旧地名:下都賀郡・都賀村大字合戦場 家中村
東部線東側の住宅地に平成十五年2003石鳥居。平成二十二年雷電神社碑(社号標)裏に伝承が刻まれている。
雷電社
羽黒

羽黒神社

[はぐろ神社]

栃木県栃木市都賀町平川489

旧地名:下都賀郡・都賀村大字平川 家中村
祭神:倉稲魂命・大国主命 境内社:愛宕神社・稲荷神社
正平(南朝)五年1350頃の創建。安政二年1855改築。平成五年1993に新築。
『下野神社沿革誌』では祭神を倉稲魂神一柱を記録,『栃木県神社誌』昭和39年版,平成18年版とも,その倉稲魂が抜けて大国主命と天日鷲命二柱を記載。境内地も現在の方が300坪ほど広いので,平川には別の羽黒神社があるかと思って探したが,見つからなかった。本殿と拝殿の大きさ,旧暦の例祭日は合っている。
2019/7/17参拝に来たところ立派な神社で,境内の由緒書看板に,御祭神は「倉稲魂命・大国主命」二柱が書いてあるではないか。「天日鷲命」は記録されていない。祭神が変わることはときにあることではあるが悩ましい。
石鳥居にはほとんど読めない文字が無数に刻まれている。奉納者の名前だろう。年号を見つけるのはあきらめかけたが,幸いなことに左柱貫のあたりから「元禄三庚午1690」の細字がくっきりと浮かんできた。貫には「天下太平國土安穏」とある。貴重な元禄鳥居がここに残っていた。
拝殿左手に稲荷神社石宮。拝殿右手に石宮三基,左端の古そうな石燈籠がある石宮が愛宕神社。
「延享元年1744九月甲子」青面金剛庚申供養塔。境内の由緒書に「延宝八年」とあるのが悩ましい。「宝」なら「寶」の字を使うし,確かに庚申の歳だが延宝八年は1680なので由緒書の1744と齟齬がある。賀茂真淵の誕生年も延宝八年より後の1697年である。「延享元年」だろう。干支の位置は通常「年」の前に刻むが,これは「九月」の下に「甲子」とあるので更に悩ましいが,はっきり「甲子」が見えるので「延享」とした。真淵全盛期とも合致する。三猿が下部に。
天保八年1837石燈籠。
拝殿内に平成五年・羽黒神社社殿新築誌。
例祭:11月23日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903刊 四巻-17丁
下都賀郡家中村大字平川鎭座 村社 羽黑神社 祭神 稻倉魂神 建物本社二間四方 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 石鳥居一基 石燈籠二基 手洗石一基 末社三社 氏子四十七戸惣代四員 社掌新井正雄同村同大字十七番地住
本社創立由緒沿革詳かならす 社域四百二十五坪を有す
延喜年間と延宝八年に悩まされる
元禄の風格 元禄三庚午1690 天下太平國土安穏
文字多数 文字多数
青面金剛右手は用水
延宝八年1680九月 拝殿左手の稲荷神社
拝殿右手 愛宕神社
天保八年1837
羽黒神社社殿新築誌
御神木
南から鎭座の杜
北から鎭座の杜 付近のお宅
豊川吒枳尼眞天 少し北に石祠
厳島

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県栃木市都賀町平川197

祭神:市杵嶋姫命
旧地名:下都賀郡・都賀村大字平川 家中村
かつては境内の銀杏から神庫あたりまで弁天沼があったが昭和35年1960頃の道路拡張で埋め立てられてしまった。東の池がその名残。2019/7/17参拝。
鳥居右手の石宮二基が雷電神社だろう。
厳島神社の裏に薬師堂。建立記念碑は,なんと「令和元年五月吉日」,最新のものだ。右となりに明治四十三年1910三月十九日・大字平川中建之「十九夜」,左となりに神輿庫。境内に平川公民館。
北東少し離れたところに昭和廿四年1949旗杭。
例祭:旧暦4月初午日
厳島神社
厳島神社 雷電神社 薬師堂
令和元年 十九夜 明治四十三年1910
左:神輿庫 平川公民館 イチョウ
出島のある池 北に旗杭
愛宕

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県栃木市都賀町升塚631 ますづか

旧地名:下都賀郡・都賀村大字升塚字愛宕 家中村
祭神:軻遇突智命・大雷電神
慶長十五年1610京都愛宕山より御分霊を勧請して創建。平成三十年に境内を整備し社殿を悉く新築するべく工事を開始し,造営なって改元の令和元年五月に「愛宕神社新築記念碑」を建立。碑文は横野写真をクリックすると拡大判が縦書きで読めます。2019/7/17清々しい社殿に参拝することができました。
入口に昭和八年1933建立,平成十三年再建の道祖神が朱色鳥居に祀られている。左は平成十五年双体道祖神。入っていくと大正三年1914旗杭。用水脇に昭和十年1935洗場親切記念碑。朱色も鮮やかな旗竿収納庫。朱色両部鳥居に「愛宕神社」額。竹垣に手水舎。正面に真新しい拝殿。左手に大きな新築記念碑。昭和二年1927に寄贈された賽銭箱を記念のために残して設置。
鳥居左手に明治十二卯年1879馬力神,明治廿年1887陸軍徴発馬力神,明治三十九年1906凱旋紀念碑,昭和二十六年1951の書道家にしか読めない碑。
例祭:11月3日 文挟小流の獅子舞奉納
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903刊 四巻-17丁
下都賀郡家中村大字升塚 鎭座 村社 愛宕神社 祭神 迦具土命 祭日一月二十四日九月二十四日 建物本社間口二間奥行九尺板葺 拜殿間口四間奥行二間板葺 木鳥居一基 氏子六十戸惣代三員 社掌新井正雄同村同大字十七番地住 
本社勸請は慶長十五年1610にして由緒沿革不詳なり
令和元年五月吉日 クリックで読めます
真新しい拝殿内 昭和二年1927
頭が悪くて読めない
おしゃれな手水舎 これはありがたい
参道入口
真新しい社殿 参道入口
道祖神 左は双体道祖神
白鳥神社

白鳥神社

[しらとり神社]

栃木県栃木市都賀町合戦場761

祭神:日本武尊
旧地名:下都賀郡・都賀村大字合戦場 家中村
創建等不詳,嘉永六年1853九月二十八日に再建。例祭:10月28日
『栃木県神社誌』昭和39年版に境内地23坪と記録されている。『栃木県神社誌』平成18年版には記録なし。この間に250m西の磐根神社に合祀されたと推測する。
合戦場753が郵便局,北隣りの公民館,消防団が765なので行ってみた。
路地を入っていくと年代物の「家中村警防団」の器具置場建物。後ろの茶色の建物が公民館。向かいに神輿を三基納めた神輿庫。脇に弘化四年1847十九夜など三基を納めた覆屋。西端に木造の古い公民館も保存されている。。 享保二年1717,明和三年1766などの尼さんの墓標や「従是南関宿領」と刻まれた石票が保存されている。
神輿庫のところに白鳥神社があったか。
分団の向こう側に神輿庫 家中村警防団 現在の公民館
神輿庫 三基見える
十九夜など
墓標 古い公民館
神輿庫 古い公民館 従是南関宿領

 

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