八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県栃木市都賀町家中5842-2

祭神:譽田別命 境内社:諏訪神社・八坂神社・豊年神社・加茂明神・稲荷神社
旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村
東武日光線家中駅から真西に600m,歩いてみた。さらに西に木の磐根神社。 昭和五十四年1979石鳥居。昭和十年1935旗杭。
拝殿右手の注連縄をかけられた大石は「天保十一年1840歳次庚子六月吉日・男體山」,その右の朱色覆屋の木製祠は「豊年神社」,となりの明治四十一年1908石宮に「甲寅」神札,嘉永六年1853あたりか。右は「加茂明神」
明治四十四年1911手水石。その右手に八坂神社神輿庫と諏訪神社。「總本社諏訪大社神符」木製祠と稲荷神社が見える。
拝殿左手に「水神社」と力石? 
昭和十二年1937狛犬。台座に「中新田坪」。推定明治十四年1881石燈籠。 例祭:8月15日
八幡宮額 拝殿
大正三年1914奉納額など  
  本殿は見えない
男體山と本殿 天保十一年1840
加茂明神 申寅
八坂神社と諏訪神社 諏訪神社本殿
八坂神社神輿 拝殿左手
水神神社
平成四年賽銭箱
鳥居方向
田園が広がる 写真中央に鳥居
家中警察官駐在所の向こうに杜 鎭座の杜 西から
日枝

日枝神社‏/八坂神社

[ひえ‏/やさか神社]

栃木県栃木市都賀町家中1380&696→691-1で

日枝神社祭神:大山咋命 八坂神社祭神:建速須佐之男命
旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村
上の写真の右端が「日枝神社」,となりに「八坂神社」,その左に「浅間大神」石塔,「大杉神社」神輿。
家中1380では欠番住所になってしまうので家中1311でGoogle地図を検索するとポイントされた地点の右となりの951-1に「日枝神社」が載っている。ゼンリン地図には載っていない。実際に行ってみると個人のお宅の生け垣の中にあり,鳥居額には「辨才天」とある。ここは日枝神社ではない。このあたりをうろついたが「日枝神社」は発見できなかった。
430mほど東の家中691には八坂神社のとなりに日枝神社が鎭座する。『栃木県神社誌』平成18年版の写真と合致するのでこちらが「家中1380」で記録された日枝神社である。ゼンリン地図にも日枝神社で載っている。
日枝神社左の石碑は徴発馬力神。
中央の「八坂神社」も『栃木県神社誌』平成18年版の写真と合致する。神社誌記載の家中696も欠番。そうとうむかしに八坂か日枝神社境内にいずれかが遷座したのだろう。家中1380の住所だけは昭和39年以前のまま伝わっている。
八坂神社左に明治三十七年1904浅間大神。
左端の大杉神社には神輿が納められている。八坂神社の神輿庫の役割。
さらに西となりに桜本薬師堂。扉の閉まった厨子の中に木彫着色薬師如来像が安置されている。写真右上の額に像のモノクロ写真が見える。膝前裏に「天正三年1575」の墨書銘がある。額に「瑠璃光如来」。
文化九年1812,天保十年1839天保十二年1841十九夜供養塔,宝永二年1705六拾六部供養塔など多数。判然としなかったが,三角点前の角柱が「虫供養」塔か。
日枝神社例祭:10月15日 八坂神社例祭:7月15日
日枝神社 日枝神社本殿
何も読めない 読みにくいが日枝神社 徴発馬力神
八坂神社 八坂神社本殿
八坂神社 明治三十七年1904浅間大神 大杉神社
大杉神社の神輿
森があった 西に薬師堂 薬師堂右手
読めない 不明
薬師堂 お堂内
石像石塔多数
櫻本講中 奉造立庚申供養 右端虫供養?
三角点 桜本地區多目的集会施設 神庫
北から 北東から

家中951-1の辨才天など
辨才天 鳥居額
野州大塚駅脇の石祠 線路が見える 野州大塚駅北に浅間神社
中央が浅間神社 浅間神社屋根
十二

十二社神社

[じゅうにしゃ神社]

栃木県栃木市都賀町家中1517>1518

旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村
祭神:十二社大神
石段がありトタン葺きの覆屋の写真が『栃木県神社誌』平成18年版に載っているが,行ってみると個人のお宅のような敷地に鎭座。お宅の方に確認したが十二社神社で間違いない。ご好意で撮影させていただいた,感謝。
祈雨の神を祀る。鎌倉時代の板碑が発掘され,覆屋内に保存されているという。豊斟渟命らしい文字が見えるのがそれか。十二神名が書かれているようだ。残念ながら読めない。高龗神は書かれていないだろうか。
例祭:9月19日
  本殿
南に水田
中央に鎭座
愛宕

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県栃木市都賀町家中1

旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村
祭神:火産霊命
新名地集落センターのある一角に鎭座。立派なお堂があり,こちらが愛宕かと思ったが,これは馬頭観世音堂。すぐ西となりの杉に囲まれたところに鳥居跡があり木製祠が祀られていて,こちらが愛宕神社。弘治年間1555~58築城の要害館の鬼門除けに火伏の神を勧請と伝わる。要害館は南西300mほどに石碑が建てられている。
北裏には神輿庫様の建物,旗竿収納庫がある。
観音堂の額は2019/7すでに読めないが「馬頭観世音」と書かれてあった。鹿沼市下粕尾常楽寺から洪水で流失した観音像を半田仙衛門が思川で投網漁中にすくいあげ当地でお祀りしている。右手前に多数の馬頭観世音の石塔。
例祭:9月24日
  愛宕神社本殿
愛宕神社屋根 鳥居跡?
馬頭観世音お堂 読めない
お堂内
馬頭観世音多数 ブルーは神輿庫?
八坂

八坂神社

[やさか神社]

栃木県栃木市都賀町家中3323>3416で

祭神:素盞嗚命
旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村
農家のあいだの細い道を歩いていくと7月末の緑の稲穂の先に鮮やかな朱色鳥居。背後に森が広がり,おとぎ話に出てくるような神社。
思川左岸まで150m。
鳥居足もとに馬頭観世音など五基。
境内右手に生駒大神,徴発軍馬記念碑,明治二十一年1888石祠など二基。
境内左手に享保四己亥1719十月吉日,天保十三寅年1842石塔。
221号線で思川を渡る前に左手に朱色鳥居が見える。
例祭:7月15日
八坂神社額
本殿 神輿庫 神輿
  本殿は見えない
天保十三年1842 享保四年1719
境内右手
馬頭観世音
御神木 美しい色彩 南のお宅に
住吉

住吉神社

[すみよし神社]

栃木県栃木市都賀町家中43700>3713で

祭神:上筒男命・中筒男命・底筒男命・(息長帯姫命)
旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村本郷
南から歩いていくと鳥居付きの個人のお祀りする立派な屋敷神が見えてくる。この北どなりに住吉神社の大正元年1912石鳥居,柱に本郷坪。
天保九歳1838石燈籠。平成二十一年狛犬。昭和十四年1939石燈籠。
町指定天然記念物のムクロジ。
例祭:9月19日
徴発軍馬記念碑
石祠三基 天保九歳1838
昭和十四年1939石燈籠   拝殿から
本殿 左側面 背面
右側面 むくろじ
個人のお宅 西方向
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県栃木市都賀町家中2977

旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村
祭神:譽田別命 境内社:豊年神社(豊受比賣命)・八坂神社・諏訪神社(健御名方命)
広域農道の交差点に鎭座。鳥居がなく,コンクリートブロックの覆屋なので見過ごしてしまうかもしれない。木製祠が祀られており「八幡大神神璽」が納められているのでここに違いない。周囲に民家もない広大な田園地帯。
例祭:8月15日
  八幡神社本殿
八幡大神神璽 田圃の中に鎭座
家中小学校のハゼと西2678-4にある藤原傳勝霊を祀る社。
家中小のナンキンハゼ
家中小西に鳥居 平成24年奉納鳥居 本殿

水神社

[すい神社]

栃木県栃木市都賀町家中4495

祭神:水波能売命
旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村
水波能売は『日本書紀』の表記では罔象女[みつはのめ]で水神。
東関東自動車道で分断された家中の自動車道北,西方町金井との境界に鎭座。
鳥居から先は真夏の草の生え放題で近づけず。
安政二年1855壬生藩が水田開発を計画し藩士桑原雄介に用水堀開鑿を命じて文久二年1862に完成した。思川の水を引くので家中村が取水口となった。この事業を記念して旧用水取口に水神を勧請して創建したので桑原用水の水神さまと呼ぶ。
「桑原用水ト稱スルハ安政二年1855壬生藩士桑原雄介ニ依リ開鑿ニ着ニ文久二年1862ニ至ル」にはじまる昭和十八年1943「桑原用水誌碑」にくわしい。
例祭:6月1日
  拝殿
  拝殿脇に石宮
    桑原用水誌碑
猿田彦

猿田彦神社

[さるたひこ神社]

栃木県栃木市都賀町家中5220-ロ

祭神:猿田彦神 境内社:八坂神社
旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村上新田
東関東自動車道で分断された家中の自動車道北,西方町金井との境界に鎭座。
江戸時代には良仙院があったところに鎭座。寺院は排仏毀釈で廃寺。そのため歴代住職と名主刑部家の墓や元文四年1739の宝篋印塔がある。
南から社殿左手にさまよいこんだが,鳥居は東の街道沿いに建つ。
大きな本殿。立派な拝殿。
昭和三年1928石鳥居。昭和十三年1938狛犬。慶応三年1867勝善神。昭和三十年1955本殿拝殿新築記念碑。明治四十一年1908徴馬記念碑。
祭神のサルタヒコは大鼻の異常に背の高い巨神で,社号祭神のサルは『日本書紀』では「猨田彦神」「猨田彦大神」と「猨」の字で小学生が使う「猿」の字ではない。猨女君も同じ。
『古事記』では「猿」字で「猿田毘古大神」「猿田毘古神」「猿田毘古之男神」と小学生の使う「猿」の字。猿女君も同じ。
当社は「猿」字。小生を悩ませる字。
「拝殿新築記念碑」に天明六年1786再建立とあるので,それ以前のいつからか青面金剛をお祀りしていたのだろう。
例祭:9月19日 文挾流獅子舞
拝殿
本殿 本殿 拝殿学
額左右のレリーフ
拝殿新築記念碑 拝殿左手
昭和十三年1938狛犬 南の旗杭
八坂神社? 慶応三年1867勝善神など
社務所兼公民館 昭和三年1928鳥居から本殿方向 鳥居・旗竿方向
南から
宝篋印塔
正面左右に「延享元甲子天1744光明眞▢供養塔」と不明の石塔。昭和四十八年1973宝篋印塔補修記念碑。
最後の面は「旹元文四龍集1739…敬白」で始まる。「旹」は「時」,「龍集」は「年」なので宝篋印塔建立年をさす。延享元は手前の供養塔の建立年で混同があるので念のため写真で読めるようにしておきます。「下之野州・都賀郡家中郷・上新田・良仙院権大僧都㳒印重慶欽識」と「下之野州」表記が見て取れる。㳒は法。
もう少しで300年になろうとする宝篋印塔の文字が素人に明瞭に判読できるのは驚くべきことだ。へたうまな草書,書家にしか,或いは本人しか読めない達筆,のつもりで刻まれたニョロ絵字がぼろぼろになった碑をみるたびに学のない小生は悲しくなる。ここの塔は小学生にも読める美しい楷書で,適度な字の大きさ,風雪に耐える素材選定,適度な深さの彫師の技術が集約された石碑テクノロジーの見本だ。
正面 延享元甲子天1744 補修記念碑
不明 史跡良仙院跡 始め
二枚目 三枚目 問題の最終面
宝篋印塔脇
磐裂根裂神社

磐裂根裂神社

[いわさくねさく神社]

栃木県栃木市都賀町家中2456

旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村橋本
祭神:磐裂命・根裂命
境内社:八幡宮・天満宮・大杉神社・八坂神社・子々神神社・三峯神社
この日2019/7/28野州大塚から家中駅の間を徒歩で神社ダイエット,8社参拝したがここが一番立派だった。大きな境内社がみっつ。家中駅東部では鷲宮神社に次ぐ規模。拝殿屋根の勾配が独特で美しい。
江戸期には星宮大明神と称し,維新に際して磐裂根裂神社と改称。栃木県では星宮から磐裂根裂に変えた社とその逆の社が多い。喜連川では近年いつの間にか星宮になっていた社もある。むかしに戻したと考える。当社は維新のまま。
弘化二歳1845石燈籠。天保十五甲辰年1844手水石。昭和七壬申歳1932狛犬。徴発馬靈神 風格のある鳥居は貫を交換し,柱を袴で補強して大切に伝承されてきている。そうとうの年代物。鳥居柱の文字はほとんど読めない,寛政,寛延の寛の字かとも考えたが,享保十四年1729の可能性が高い。
ブルートタン拭き覆屋の境内社は,左から「大杉神社」「天満・天神宮」「八幡宮」,右端屋根色違いは「八坂・天王様」,三峯は不明。
子々神神社はもとは中妻公民館敷地にあった。東400mにある中妻中の内やすらぎ館のことか。したの写真最後が子々神神社?
例祭:10月15日
八幡宮額 拝殿
大正三年1914奉納額など  
  本殿は見えない
本殿 昭和七壬申歳1932狛犬
神楽殿 神楽殿
拝殿右手 拝殿右手
四社
石宮一基 東から 手水舎
徴発馬靈神など 鳥居方向 旗杭
柱補修 貫交換
文字のような 北の石祠から鎭座の杜
稲荷神社

櫛形稲荷神社

[くしがたいなり神社]

栃木県栃木市都賀町家中4832-1→4837で探す

祭神:豊受比売命
旧地名:下都賀郡・都賀村大字家中 家中村中荒井
地名は家中だが思川東岸の壬生町上稲葉との境界あたり。
一度砕石場の悪路を延々と探すも見つからず。つぎに上稲葉の方から田圃道を歩いてみると思川の土手を背後に,三本ほどの杉の木が聳えるあたりにそれとなく屋根のようなものが,遠くに。軽自動車なら通れそうな畦道を歩いていくと,電柱の先に確かに神社ノヨウナ屋根が。しかし直進はとても無理,左右も夏草で入り込む余地はまったくなし。遠写でごかんべんを。
Googleの地図で説明すると,市兵衛八幡から用水沿いに道路一マス南下し,十字路を西に進むと突き当たりの道路が半円になっている。そこに2019の地図から稲荷神社がマークされた。半円がむかしの櫛のような形なので「櫛形稲荷」と呼ばれることになった。衛星地図にして茶褐色の部分は採石?思川の体積土砂採掘?場。その右の緑の部分がどこからも入り込めない。真冬に再挑戦です。
創建不詳ながら嘉永二年1849再建と伝わる。
例祭:2月初午日
 
 
   

 

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