星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県栃木市藤田町207

祭神:磐裂神,根裂神 配神:軻遇突智命,菅原道真公,豊宇気比賣命
旧地名:下都賀郡・大宮村大字藤田
大宮南小学校の北東の田園地帯に鎮座。延暦年間782~806の創建と伝わる古社。南方の宮田町と西方の仲仕上町にも星宮神社がある。
明治三十五年1902十二月十四日,字木の宮の無格社愛宕神社,字天神の無格社天満宮,字稲荷の無格社稲荷神社を合併している。稲荷は倉稲魂命ではなく豊宇気比賣命を祭神とする。
昭和三十年十一月吉日・藤田町氏子奉納の旗杭。
「露○○従軍馬霊神」碑
2009年9月2日に参拝したときには拝殿右手に木が一本あったが2019/6/23に再訪した際にはなくなっていた。拝殿の前面は修復されている。ご覧のとおり10年経っても周囲に変化はない。水田の中にぽつんと鎭座する。西の方遠くに仲仕上の星宮神社が見える。
*『下野神社沿革誌』巻四-19丁(明治三十五年1902)
下都賀郡大宮村大字藤田鎭座 村社星宮神社 祭神磐裂神根裂神
建物本社八尺四方 氏子二十一戸 本社創立詳ならす社域五十五坪を有し字星の宮に在り
2009/9/2撮影 本殿
昭和三十年十一月吉日 藤田町氏子中 馬霊神
  2019/6右の杉消滅 2009/9には杉があった
  2009/9/2撮影
  2019/6撮影 仲仕上の星宮神社が見える
大宮

大宮神社

[おおみや神社]

栃木県栃木市大宮町1638

旧地名:下都賀郡・大宮村大字大宮字北城
祭神:大己貴命 配神:少彦名命
境内社:川守神社・水神社(水波能賣命<罔象女神)・龍神社(大綿津見神)・稲荷神社・星宮神社・金刀比羅神社・天満宮・八幡宮・神明宮・愛宕神社
寛正年間1460~66の創立。将門の乱の後に国司が三輪山より勧請との説も残る。
現在の本殿は宝永六年1709再建のもの。平成12年2000に改築。
かつての南参道遠くに石鳥居と旗杭,東参道に石鳥居。境内地は3812坪と広大。
拝殿前に平成15年狛犬。本殿右手裏の覆屋に稲荷神社,本殿に見事な彫刻が施されている。境内左手社務所の奥に石燈籠付きの愛宕神社。境内には明治四十一年1908などの年号が見える石祠多数。
西隣りに西光寺と如意輪寺,東隣り,鳥居の先に普賢院。
例祭:11月23日 獅子舞奉納(岩舟町古橋から伝わった関白流)
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 大宮神社 大宮村鎮座 祭主鶴見氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-18丁
下都賀郡大宮村大字大宮字北城鎭座 村社 大宮神社 祭神 大己貴命 少彦名命
建物本社間口一間奥行九尺 拜殿間口三間半奥行二間 石鳥居一基 記華表一基 末社八社 調馬路復舊碑一基 氏子百五十八戸 社掌鶴見紀繼仝村仝大字住
本社創立遼遠にして詳ならす 往時は領主代々崇敬ありて社領五石を寄附せられ大宮村の大宮にて馬塲は南向きにして中仕上村の境に達せし長馬塲なりしか永禄四年1561小山の支城を當地に築きし際變して東向きにせりと云ふ 後元禄七年1694堀田伊豆守正虎當城より陸奥の福島に移封せられ其支城廢毀し民地となりぬ 當時氏子等議りて舊に復せんと百方心を盡すと雖も遂に成らす 漸くにして明治昭代に至りて百八十余間の長馬塲に復せり 嗚呼神人の喜ひならんや 本社再建は寶永六年1709九月なり 社域一千二十六坪平坦の地にして老杉古樹繁茂し神寂ひて頗る幽邃なり
拝殿 拝殿内,額がある
正一位大宮神社 手水舎
立派な本殿
番田左手
右が川守神社 覆屋が見える 稲荷神社
稲荷神社本殿 稲荷神社の彫刻
稲荷神社から見た本殿
右手が稲荷神社 右端は神楽殿 石祠多数
社務所と神庫 愛宕神社
神楽田
明治二十五年1892調馬路成碑 東参道 東参道の鳥居
南参道から 鎭座の杜 南参道途中
南参道の石宮 普賢院脇
鳥居南
付近の十九夜など
浅間

浅間神社

[せんげん神社]

栃木県栃木市大宮町1510

旧地名:下都賀郡・大宮村大字大宮
祭神:木花咲耶姫命
大宮神社南東,44号線沿いに鎭座。昭和三年1928石鳥居。盛土の上に小ぶりの石宮が鎭座。石燈籠一対。正徳元年1711の仏像から推測すれば江戸中期までには創建されていたか。道を隔てて昭和二十八年1953,昭和三十三年1958の水神二基。(写真の白いもやは雨に降られて拭き損ねた水滴のせいです。この日野州平川駅から徒歩計15キロ。びしょぬれになりました。2019/6/15)
石宮 石段
正徳元年
水神 付近の十九夜,庚申塔
今泉

今泉神社

[いまいずみ神社]

栃木県栃木市今泉町1-25-5

旧地名:下都賀郡・大宮村大字今泉
祭神:天御中主命 配神:倉稲魂命・譽田別命
境内社:大杉神社・三峰神社・愛宕神社・稲荷神社・天満宮・妙見宮。
文禄年間1592~96の創立。本地仏は妙見菩薩。妙見宮と称したが明治五年1872地名をとって今泉神社と改称。現在の拝殿は天明二年1782造営。
明治四十五年1912石鳥居。大正二年1913旗杭。明治廿七年1894石燈籠,もう一基は読めない。文化十三年1816丙子年九月祭日・石屋根石垣燈籠・杤木上町・石工野口四郎兵衛茂周・金拾両一分」などの文字が読める拝殿前の石燈籠。栃木の前進「杤木」の文字が使われている貴重品。
境内右手の覆屋に境内社六社を祀る。平成十八年奉納の石鳥居。平成五年末社再建之碑。その左の石塔は石燈籠か,推読「文化六己巳歳1809九‏/▢▢妙見宮」,下記の『下野神社沿革誌』では妙見社としているが,妙見宮である。
例祭:11月第一日曜日
*『下野神社沿革誌』巻四-18丁(明治三十五年1902)
下都賀郡大宮村大字今泉鎭座 村社 今泉神社 祭神 天香々背男命 稻倉魂命 譽田別命
建物本社一間四方 拜殿間口五間奥行三間半 神饌所間口四間奥行三間半 末社二社 氏子六十二戸
本社創立は文禄年間1592~96にして往時は妙見社と稱し享保十九年1734十二月を以て神階正一位を授けらる 社域一千二百三十四坪字神田に鎭し明治五年1872今泉神社と改稱す
由緒
拝殿
連歌? 大きな本殿 拝殿左手
右手; 左に「杤」の字 天水鉢
社務所兼公民館 境内右手
末社再建之碑
妙見宮
鎭座の杜
龍蛇

蛇龍神社・蛇龍妙王

[じゃりゅう神社・みょうおう]

栃木県栃木市今泉町2丁目

旧地名:下都賀郡・大宮村大字今泉
新栃木駅の南すぐの踏切脇に鎭座。西隣りは線路。歴史と由来を読むと承平七年937平將門によって創建されたとある。延長六年928に日蓮の高弟日家上人が蛇龍妙王と命名。そろそろ1100年になる古社である。拝殿額は「蛇龍妙王」,解説看板には「蛇龍神社」とある。
昭和61年1986,平成3年1991石鳥居。昭和十五年1940手水石。明治四十二年1909石宮。
蛇龍妙王額
本殿 白蛇龍
向こうは線路
以前の額
夫婦桜の切株 右手に東部線
5年前の2014年3月21日に撮影したときは,まだ夫婦桜があったが,2019/6/23には消滅して切株だけになっていた。
赤矢印に桜があった
星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県栃木市仲仕上町353 なかしあげ

旧地名:下都賀郡・大宮村大字上仲仕上
祭神:磐裂神・根裂神 配神:経津主命
明応年間1492~1501の創建。
大正六年1917拝殿額。本殿のほか中型一柱。小型二柱が祀られている。
大正五年1916石鳥居。大正六年1917旗杭。
安政七年1860?浅間仙元宮。富士講に発展する仙元大日神信仰に由来する命名だろう,貴重品。その脇の覆屋に木製祠五社が祀られている。
西裏のお宅に稲荷神社,西すぐの武平作内に稲荷神社。はるか東方の田圃の中に藤田の星宮神社が見える。
例祭:11月最終土曜日 150.88坪
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 大宮 但馬
*『下野神社沿革誌』巻四-18丁(明治三十五年1902)
下都賀郡大宮村大字上仲仕上鎭座 村社 星宮神社 祭神 経津主命 磐裂命 根裂命
建物本社間口四尺奥行五尺五寸 拜殿間口二間奥行三間半 末社二社 氏子三十五戸
本社創建詳かならす 社域百五十坪にして字北浦に在り
大きな額
四社祀られている 境内社
浅間仙元宮
水田の中に鎭座
藤田の星宮神社が見える
個人宅の稲荷 武平作入り口 武平作の稲荷
付近の土地改良記念碑
八蛇

八蛇神社

[やつさび神社]

栃木県栃木市久保田町457

祭神:大物主神・天照大御神・彦火火出見命
境内社:厳島神社・天満宮
旧地名:下都賀郡・大宮村大字久保田字北条
仁明天皇833-850の時代に凶作に苦しめられた農民が大和の国城上郡[しろきのかみのこおり=奈良県桜井市]の大神神社と下都賀郡の大神神社[おおみわじんじゃ](惣社町にあり。旧式内社で往古の呼び名は下野惣社大明神・惣社六所大明神・八島大明神)に五穀豊穰を祈願したところ霊験あり,嘉祥三年850八蛇山に大物主神を勸請し天照皇大御神・彦火々出見命を合祀して創建。後に現在地の八蛇古墳上に遷座。古墳と推定されるまでは八蛇山と呼んでいたらしい。
平成二十二年石鳥居の正面は社務所で,本社はその左手にある。大正四年1915旗杭と隣りの鳥居改築工事寄附者芳名碑に「八蛇神社」と刻まれている。石祠が4基,観音菩薩の供養塔がある。
鳥居左手の涸れ池のほとりに明治三十六年1903厳島神社の石宮。
拝殿内に大正十三-五年1924-26頃の境内を描いた奉納額が掛けられている。茨城結城の押野タメさん奉納。社務所ができる前の貴重な図で,本殿右手に天満宮,その右手に石祠が三基見える。これが拝殿左手前に移動したことがわかる。鳥居は新調されたが厳島神社と供養塔は同じところにある。
昭和三十二年1957石燈籠。
例祭:11月19日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻18丁
下都賀郡大宮村大字久保田鎭座 村社 八蛇神社 祭神 天照大御神 大物主命 彦火々出見命 建物本社間口一間二尺奥行一間三尺 拜殿間口三間奥行二間 末社二社 氏子三十三戸
社傳に曰く 仁明天皇の御宇當郷凶年打續き五穀熟せす郷民深く患ひ嘆き大和國城上郡大神社及ひ當郡惣社大神社を祈願するに霊験著しく五穀成熟す 之によりて村民大神社を崇敬して嘉祥三年850八蛇山に奉祭して大神社の神に天照大御神彦火々出見命を合祀して八蛇神社と號し一村の鎭守とす 社域一千四百八十三坪を有し字北条の清洒の地に鎭す
平成二十二年石鳥居
拝殿内 一世紀前の境内図
厳島神社
八蛇古墳上に鎭座
池があった
森があった 付近の馬頭尊
星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県栃木市宮田町295

旧地名:下都賀郡・大宮村大字宮田
祭神:磐裂神・根裂神 配神:軻遇突智命
皆川七騎の一,渡辺備後が明応三年1494九月二十九日に太平山星宮大權現より勧請して創建。平成17年2005大改築の際に,棟木に太平山神社からの遷宮を示す文字が見つかった。
?明治四十四年1911旗杭。
鳥居右手は稲荷神社か。石宮二基。
寛政六甲寅年1794馬頭観世音,元禄五壬申1692庚申供養塔,寛政八丙辰1796十九夜供養塔,天明?年供養塔,天保五甲午年1834十九夜供養塔,馬頭観世音など石塔11基。
西に400m行くと樋ノ口の稲荷神社。南東300mに高谷町の日枝神社。
例祭:11月最終土曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 大宮 但馬
*『下野神社沿革誌』巻四-18丁(明治三十五年1902)
下都賀郡大宮村大字宮田鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命
建物本社間口九尺奥行二間 拝殿間口二間半奥行二間 末社一社 氏子二十二戸 本社は明應三年1494九月の創建にして仝郡太平山神社を移遷して勸請すと云ふ 社域三百二十坪字星宮に在り
拝殿 拝殿内
正星宮神社額
境内社
石宮
拝殿前の石宮 ▢間▢▢
石塔11基
 
日枝

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県栃木市高谷町92 こうや

旧地名:下都賀郡・大宮村大字高谷字六反田
祭神:大山咋命・勝善神 境内社:稲荷神社・愛宕神社・大杉神社・天満宮
延暦十年791創建と伝わる古社。開村の祖新村家の氏神で樋ノ口の境に鎭座した。寛政七年1795現在地に遷宮。
昭和五十六年1981九月吉日高谷町氏子一同奉納の石鳥居。昭和二十年1945九月旗杭は群馬県多野郡の方の奉納。
安政七庚申年1860三月吉祥日石燈籠。柱が逆になってしまった石宮は年代読めず。 例祭:11月29日
*『下野神社沿革誌』巻四-18丁(明治三十五年1902)
下都賀郡大宮村大字高谷字六反田鎭座 村社 日枝神社 祭神 大山咋命
建物本社間口四尺五寸奥行六尺 拝殿間口二間奥行二間半 末社四社 氏子二十三戸
社傳に曰く 本社は延暦十年791の創立にして字樋の口の境に勸請せしか故ありて寛政七年1795中今の地に移遷す 今尚元社地の舊跡を残す 社域三百四十坪淸洒なり
  額があった
本殿
境内社 安政七庚申年
  高谷町氏子一同
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県栃木市・樋ノ口町347

旧地名:下都賀郡・大宮村大字樋ノ口字上口
祭神:豊受姫命
境内社:厳島神社・大杉神社・愛宕神社・天満宮
寛永七年1630神田妻恋稲荷より御分霊を勧請して創建。正徳元年1711樋ノ口鎭守とする。本殿は享保十九年1734造営。平成十三年2001に改築。それ以前の昭和四十一年1966にも社殿を改築している。
平成十四年石鳥居。二の鳥居は木製両部鳥居。
昭和二年?1927六月十五日旗杭。
境内右手に昭和十五年1940樋ノ口推理組合奉納の「水神」
例祭:9月29日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 四巻-18丁
下都賀郡大宮村大字樋ノ口鎭座 村社 稻荷神社 祭神 豊受姫命 建物本社九尺四方 拜殿間口二間奥行九尺 末社三社 氏子四十四戸
本社創立不詳 社域百五十五坪を有し字上口に在り
一の鳥居 二の鳥居
社号が見える
水神

 

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