三宮

三宮神社

[さんのみや神社]

栃木県栃木市都賀町富張767-2

主祭神:磐裂神・根裂神 配神:経津主神・火産霊神
境内社:稲荷神社・八坂神社
藤平紀伊守泰隆が観応(北朝)二年1351末に足利尊氏と直義の諍いに尊氏側につき,上州,現在の群馬郡吉岡町大久保鎮座の三宮神社に戦勝祈願をした。事成って三宮大明神に幣を掛け西方富張に帰陣する。その夜に神楽岡の楠に幣を給えとの夢告があり,大木の根元に詞を建て祀ったことに始まる。観応三年1352のころだろう。その後,山崎の地に遷宮し現在に至る。
平成十七年建立の由来碑に元文三年1738棟札の写しが刻んである。そこに見える藤平氏に至るまでの複雑な系統証明文が石碑の上段全部を占め,創建の話は二段目から始まる。書き出しが宇都宮宗円なので宗円創建説が『栃木県神社誌』平成18年版には載っているが,石碑の方が筋が通っている。
寛文十三癸丑年1673九月吉日建立の石鳥居。石段の上の朱色の鳥居をくぐると正面に大きな拝殿。
文政六癸未歳1823石燈籠と安政二乙卯1855手水石。手前の手水石は昭和九年1934。大正六年1917狛犬台座に「愛宕神社氏子・別府/都内/西別府中」とある。平成十七年「鈴は豊作のしるし」看板。昭和十年代の旗杭の後ろに三段組の平成十七年「三宮神社由来」石版。
拝殿右手に寄附記念碑が五基あり,昭和八年1933の碑にはカタカナの「ノ」付きで「三ノ宮神社改築費」とある。『栃木県神社誌』平成18年版の表記も「ノ」付き。
拝殿左手に「豊年神社」「豊受神社」「菅原神社」,凱旋記念碑,神庫。神輿庫には立派な神輿が収められている。
例祭:10月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 三宮大明神 富張 茅島主計
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 三宮大明神 富張村鎮座 祭主茅島氏ナリ
寛文十三年1673一の鳥居
二の鳥居
拝殿内 正一位三宮大明神 本殿
水鉢に狛犬 昭和九年1934手水石
文政六年1823石燈籠 安政二年1855手水石 鈴は豊作のしるし
大正六年1917狛犬
愛宕神社氏子 昭和十まで読める 由緒
寄附記念碑 境内社
神庫と神輿庫 金箔の神輿
拝殿 本殿覆屋
 
鳥居右手 鎮座の山
生出

生出神社

[おいで神社]

栃木県栃木市都賀町深沢298

旧地名:下都賀郡・都賀村大字深澤/赤津村
祭神:大名持命 配神:少彦名命・火産霊命・大山祇神・軻遇突智神
境内社:秋葉神社・山神神社・八幡神社・浅間神社・愛宕神社
鎌倉末から室町初期1330年代の創建。『下野神社沿革誌』では「深津」とあるが戦国期から「深沢」なので勘違い。その百年前編纂の『鹿沼聞書』では「深沢」で記録された。しかし社号は「典出」と誤記または誤植。いずれにも悩まされてかなり時間がかかった。
本殿右手に神池があり石宮が祀られている。村の水源として重視され,水がおい出るところから「生出」と呼んだ。
直線で600m北東の白山神社,1km東の三宮神社と,ここ生出神社の三社は往古の繁栄をうかがわせる,構えの大きい立派な社で,見落としが出そうである。
大正六年1917石鳥居と同寄附記念碑。明治三十六年1903拝殿改築を記念して奉納された社号標。
二の鳥居は読みにくい。昭和五十?年か。 本殿裏手に多数の境内社。東から「秋葉神社」「山神神社」「八幡神社」「浅間神社」「愛宕神社」離れて「権現神社」,自然石は文政四年1821正月再建の「青面金剛」
道路沿いに神輿庫,その前に明治二十七年1894徴発馬靈神,明治四十二年1909軍馬紀念碑
拝殿手前に明治十五年1882石燈籠,昭和36年1961旗杭。石段右下に明治十有八年1885御石楷新設記念碑。石段を上がると明治三十六年1903狛犬。
社殿右手にトタン覆い屋根付きの大きな岩は萬延元年1860庚申塔。脇に300年以上前の貴重な宝永元申天1704庚申供養塔。
例祭:11月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 典出大明神 深沢 村民
*『下野神社沿革誌』巻四-10丁 明治三十六年1903
下都賀郡赤津村大字深津鎭座 村社 生出神社 祭神 大名持命・少彦名命 建物本社間口四尺奥行四尺五寸 拜殿間口三間奥行一間半 末社三社 氏子七十二戸 本社は文政九年1826九月の再建にして創立由緒等詳かならす 社域九百二十九坪字一反田に在り
大正六年1917石鳥居 二の鳥居
   
 
御石楷新設記念碑 明治三十六年1903狛犬
拝殿左手 拝殿右手
青面金剛
    権現神社
どの石祠にも神号が 神池方向 萬延元年1860庚申塔
宝永元申天1704庚申供養塔 神池
石宮 道路から 馬齢神と神輿
神輿 一の鳥居足もと 神橋
寛保三年?1743光明真言… 大柿交差点方向 交差点の子護地蔵尊
白山

白山神社

[はくさん神社]

栃木県栃木市都賀町大柿2332>1411

旧地名:下都賀郡・都賀村大字大柿/赤津村
祭神:伊佐那岐命・伊佐奈美命 配神:菊理比賣命・垣安比賣命
境内社:三日月神社
神護景雲年間767~770加賀の白山比咩神社より字古内山に御分霊を勸請して創建。したがって読み方は本来[しらやま]で,『栃木県神社誌』昭和39年版では[しらやま]のルビだったが,新版からは[はくさん]に変わってしまった。白山比咩は菊理姫のこと。垣安比賣は不明,埴安神かもしれない。
永仁五年1297に再建,文明元年1469に修復。寛文年間1661~73に拝殿改築。
293号線沿いの朱色の鳥居の右手に明治五年1872「宇氣母智神」これは[うけもちのかみ=保食神],「塞廼神」これは[さえのかみ],明治三十年1897「猿田彦大神」,「??四年・白山神社」
明治四十四年1911社号標。
鳥居右下に「雷電神社」石宮。
石段を上がると昭和三年1928二の鳥居。同年狛犬。大正五年1916手水石。
境内社は三日月神社だがキツネが置かれている。
例祭:11月21日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 白山大權現 大柿 村民
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 白山神社 大柿村鎮座 祭主久我氏ナリ
*『下野神社沿革誌』巻四-11丁 明治三十六年1903
下都賀郡赤津村大字大柿鎭座 村社 白山神社 祭神 伊弉諾命・伊弉冊命・菊理比賣命 建物本社間口五尺奥行九尺五寸 拜殿間口三間半奥行二間 末社九社 氏子百六十戸 本社勸請年月不詳 社域八百六十四坪を有し字古内に在り
一の鳥居 二の鳥居 拝殿
拝殿額 本殿
神楽殿
神楽殿 昭和三年1928狛犬
手水舎
稲荷? 背後の森林 本殿裏から
4基並ぶ
雷電神社 石段
朱鳥居脇の巨杉跡 二の鳥居脇 西の駐車場から
西の駐車場から階段でも 駐車場の旗杭
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県栃木市都賀町大柿455>431-2で

旧地名:下都賀郡・都賀村大字大柿/赤津村
祭神:香々春男命 境内社:大杉神社 不明の愛宕神社
創建等不詳。
花之江の郷から西進して龍興寺方向に入って直進,薬師堂の南に鎮座。
平成十三年2001石鳥居。石段途中に「奉納星宮神社」石柱。石段を上って右手に石塔四基,文政八乙酉年1825「榛名山」,寛政十二庚申年1800庚申塔,萬延元年1860庚申塔,年代不明の庚申塔。
昭和27年1952石燈籠。
拝殿に石川坪奉納の「星宮神社」額,小さい格子から朱塗の本殿が見える。拝殿右手は古い神輿が収められており,大杉神社か,後ろの御神木の根元にも石宮が祀られているので,確定できない。石宮を大杉神社とすると神輿庫で大杉神社神輿が妥当か。
本殿真後ろの二本の昭和三十年1955旗杭にそれぞれ「愛宕神社」と彫られている。一本には「奉納氏子中」
『栃木県神社誌』昭和三十九年版に「星宮神社」で掲載されている。合祀して相殿に祀られているか,『栃木県神社誌』新版にも全く記載がなく不明である。
鳥居の左手に「浅間神社」の旗杭が立っている。こちらはこの奥,南に400mの山中に鎮座する「浅間神社」のもので,当社とは関係がない。Google地図に誤解されて「星の宮浅間神社」で記載される原因になった。「の」もいらない。ゴルフ場の中にあるので,どなたか写真を提供してくださると幸いです。
例祭:10月13日

星宮神社
本殿
神輿 本殿裏
入口
奉納星宮神社
石塔四基,中郷の字
萬延元庚申 文政八 愛宕神社旗杭
愛宕神社旗杭 一面のそば畑
浅間神社旗杭 浅間神社
山向こうに浅間神社 浅間神社手前の山 星宮神社鎮座の杜
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県栃木市都賀町大柿2640

旧地名:下都賀郡・都賀村大字大柿/赤津村
祭神:大物主命
文化年間1804~18野上集落の守護神として創建。文政二年1819に奥の宮が造営された。
上記星宮神社の北西1.2キロの道路沿いに昭和五年1930の琴平神社旗杭。ここから徒歩で上ってみると畑地が広がっている。右手は行き止りで,左に進んでみたが難航しそうなので中断。麓に戻ってお尋ねすると,今はもうここから琴平に行く人はいない,たぶん無理だろうと別の道を教えていただく。旗杭から車で戻って坂を下った途中から右手に山に登る。ゴルフ場の芝生が見えるところで「止まれ」の標識があり行き止まり。あきらめて真名子の石尊神社が旗杭の先にあるので,そちらで4社撮影して,帰りに再び行き方をおたずねして挑戦。
「止まれ」の標識の金網のヒモを解いて開いて徒歩で直進することしばし。このまま延々山登りかと諦めかけた頃右手に鳥居が見えた。
四本の杉の間に鳥居があって左手に拝殿,正面に本殿。拝殿から本殿へは直接行けず,いったん降りて左手に回り込んで石段を上がる構造になっている。
鳥居脇に昭和五十五年1980石段改修記念碑。年代不明の手水石。鳥居上部の石燈籠は「四十七年」が見えるので昭和四十七年1972奉納。昭和39年1964頃には鳥居はまだ石製神明造りで,間口二間石葺きの手水舎,狛犬もあった。
拝殿背後が本殿用に突出している。残念ながら小窓からは真暗で何も見えない。かつては間口二間奥行一間権現造銅葺きの本殿があったが,縮小されている。上部の奥宮には間口半間程の銅葺神明造の真新しい本殿が収められている。推測するにゴルフ場造営の際に整備されたのだろう。
社殿背後には岩山が聳えている。鳥居手前に巨岩。途中に嘉永五年1852庚申塔。
例祭:1月10日
杉四本の間に鳥居 拝殿
拝殿鈴 飛び出ている
奥の院
奥の院 奥の院本殿 背後の岩山
石段修築記念 手水石
昭和47年1972石燈籠
鳥居手前の大岩 斜面に社殿
嘉永五年1852庚申塔
矢印に旗杭 旗杭一対
上りきると広場 行けそうもない
「止まれ」から入る 旗杭からはここに出る 社跡?

 

都賀町の神社・以下は参拝まだです。

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八幡宮  栃木市・都賀町・大橋589
浅間神社 栃木市・都賀町・大柿497
愛宕神社 栃木市・都賀町・木1566
八幡宮  栃木市・都賀町・木1608
鹿島神社 栃木市・都賀町・木1839

 

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