星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県さくら市狭間田1500 はさまだ

祭神:磐裂神・根裂神・経津主神 境内社:賀茂神社・天満宮
旧地名:塩谷郡氏家町大字狭間田/熟田村大字狭間田
熟田小学校の東の田園地帯に鎭座。松原の星宮神社。
明治四十四年1911石鳥居。平成27年寄贈の旗竿。大正十四年1925旗杭。明治四十一年1908社号標。鳥居左手に旗杭付きで聖徳太子。
寛政七年1795石燈籠。昭和二十五年1950譲与記念碑。明治十九年1886二荒山。昭和十二年1937狛犬は石工水沼縫之助。
大正二年1913「星宮神社碑」は下野女学校長舩田兵五が本文を記し,篆額は子爵戸田志友の筆。「…社傳に曰く宇都宮城主宗圓之裔小野政信之X創造也 慶長二年1597率其族來XX土歸農初田猝田村後改狭間田村 寛永十六年1639政信之裔創立狭間田新田 明暦二年1656建根本新田…明治四十四年1911起工翌年吉竣…」
奈良時代の創建で狭間田城を築くに際し経津主神を相殿に祀った。現今の社殿は上に記述されている小野政信が慶長七年1602に改築したもの。
本殿裏手の覆屋内の境内社が賀茂神社と天満宮。
例祭:10月19日 809坪
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 星宮大明神 狭間田 崇光寺
 
聖徳太子
昭和十二年1937狛犬
昭和二十五年1950譲与記念碑 明治十九年1886二荒山 拝殿左手
本殿裏左手
本殿裏右手 鎭座の杜
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県さくら市狭間田1490

祭神:磐裂命・根裂命
旧地名:塩谷郡氏家町大字狭間田/熟田村大字狭間田
上記星宮神社のすぐ北に鎭座。
平成23年石鳥居。
拝殿内に平成4年星宮神社新築記念板書。
木製祠三基の覆屋には「恵比寿大黒殿」「浅間神社」「鳴神神社」
木製祠四基の覆屋には「天満自在天神宮」「星の宮神社」「熊野神社」「正一位稲荷大明神」
境内から少し東に多数の馬頭観世音,庚申供養塔,二十三夜供養塔が並んでいる。ここから東に入ったところに谷中集落センター。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902刊 七巻16丁
鹽谷郡熱田村大字狭間田鎭座 村社 星宮神社 祭神 經津主命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口三尺奥行三尺 雨覆間口六尺奥行六尺 鳥居一基 氏子四十八戸 兼社掌阿久津伊勢松同郡阿久津村大字大谷住
本社創立年月詳ならす 往古より谷中村民産土神と尊敬せし社にして明治五年1872村社に列せらる 社域平地にして八十四坪を有す
   
境内社 社号が分かる
鎭座の杜 馬頭尊など多数
智賀津神社

智賀津神社

[ちかつ神社]

栃木県さくら市狭間田2879

祭神:事代主命 境内社:稲荷神社・浅間神社
旧地名:塩谷郡氏家町大字狭間田字弥五郎坂下/熟田村大字狭間田新田
293号線で喜連川に入る手前,弥五郎坂交差点西の山腹に鎭座。道路から石鳥居が見える。
参道を進むと左手に90度曲がる形で朱塗の両部鳥居があって社殿。
由緒看板にある板戸の智賀都神社は板戸町1244番地に鎭座。祭神は事代主命とある。使用文字は当社はサンズイの津,板戸は都。『栃木県神社誌』昭和39年版では大国主命。『栃木県神社誌』平成18年版では経津主命とあるが境内の記念碑にならって事代主命としておく。かつては293号線から石鳥居まで松並木があったが枯死してしまった。本殿周囲には杉の古木が6本聳えている。
昭和五年1930奉納の巨大狛犬は迫力がある。もう一対は大正八年1919奉納。大正二年1913石燈籠。明治三十六年1903石燈籠。昭和元年1926石燈籠。
基本金寄付者碑。明治四十三年1910の銀杏・檜・樫各四本寄進碑。大正二年1913智賀都神社記念碑に,創立不詳だが朝日夕日長者二戸のうち一戸がこの地に在り智賀津神を祀った。その後荒廃したが,坂本市郎左衛門が領主奥平義作の許可を得て再興したことが刻まれている。また明治四十一年1908に字鍛治ヶ澤村社八幡宮,明治四十四年1911に字根本村社星宮神社外二社を合祀したこと,祭神は大国主神の御子事代主神であることが刻まれている。
合祀された各社は戦後国家統制から離れて元の村で祀られている。
『鹿沼聞書』記載の庭蓮寺は明治二年1869に廃寺となった。『下野神社沿革誌』の記録が「二百九十三坪平地」となっているのが気になるが該当社に間違いはないだろう。
例祭:10月28日 443坪
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 智賀都大明神 狭間田新田 庭蓮寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902刊 七巻16丁
鹽谷郡熱田村大字狭間田新田鎭座 村社 智勝神社 祭神 經津主命 祭日陰暦九月廿九日 建物本社間口四尺奥行四尺 雨覆間口九尺奥行九尺 鳥居一基 氏子廿五戸 兼社掌高塩數麿同郡喜連川町住
本社創立年月詳ならす 往昔より鎭守神たり 明治五年1872村社に列せらる 社域二百九十三坪平地にして老杉若杉雜生し甚た幽邃なり
昭和六年1931一の鳥居 二の鳥居
本殿
昭和五年1930狛犬
大正八年1919狛犬
拝殿右手
智賀津神社記念碑
大杉 参道左手に社殿 右端が両部鳥居
八幡神社

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県さくら市鍛治ケ沢224

祭神:譽田別命
下記の狭間田948「星宮神社」の北の山に鎭座。根本集落センター脇から溜池に向かうと山麓に石鳥居。鳥居脇に「昭和三年1928・八幡神社鳥居改築費」「慶応四年1868二十三夜塔」「慶応三丁卯歳1867八幡大菩薩」
鳥居をくぐって山道をまっすぐ登っていくと上方に社殿が見えてくる。覆屋内に石宮。左手にも石祠が一基。
かつては少し大きめの社殿があったが,火災に遭って消失し,現今の社に建て替えられた。
明治期には「八幡宮」で記録されたが昭和に入って「八幡神社」と称している。
池の岸に「大正八年1919溜池改築記念碑」鍛治ケ沢の情景が刻まれている。「喜連川領葛城村ノ西涯ニ廣天ナ土地アリ世人呼ンテ鍛治ケ澤ト云フ往古人煙絶エテナシ…」
土地の人のお話では,この溜池は昔からあって湧水で沼になっていて,雨水もここに溜まったという。現在は整備されており,農業用水として活用されている。溜池の東の山の先に桜ふれあいの郷がつくられている。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902刊 七巻16丁
鹽谷郡熱田村大字鍛治ヶ澤鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 祭日陰暦八月十五日 建物本社間口三尺奥行三尺 雨覆間口一間奥行一間 鳥居一基 氏子十五戸 兼社掌高塩數麿同郡喜連川町住
本社勸請由緒等は詳ならす 往古より一村の鎭守神にして維新の際村社に列せらる 境内坪數百二十坪高燥の地にして松杉森々として社域頗る清洒なり
昭和三年1928石鳥居
本殿
参道方面
二十三夜と鳥居改築費 八幡大菩薩
ここを登る 社殿が見えてくる
鳥居前の溜池 杉の森に鎭座 桜ふれあいの郷
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県さくら市狭間田948

祭神:磐裂命・根裂命
根本の星宮神社。293号線・弥五郎下交差点を高根沢方面に入ると,ほどなく左手に鳥居が見える。石鳥居額に「星宮神社」
鳥居をくぐると石階の上方に社殿が見える。拝殿内に「星宮神社」額。
拝殿左手にまだ若い「夫婦杉」,大正十四年1925改築記念碑,神庫と木製祠二社。右側の祠に古峯神社神璽。
拝殿右手に昭和十五年1940参道整備の石碑があり,その奥に木製祠。
以下に掲載した四社は文献に記載されておらず,詳細不詳。
拝殿
本殿が見える 左手
木製祠二社 右側の祠 拝殿右手
右手の祠 石段途中
南方向 道路から
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県さくら市狭間田871

祭神:磐裂命・根裂命
八方口の星宮神社。高根沢方面に進むと道路沿い左手に石鳥居が見える。鳥井額に朱文字で「星宮神社」
石階の上方に社殿が見える。覆屋内に小ぶりの御本殿。詳細不詳。
本殿 裏手に山
鳥居を見下ろす 道路沿いに鳥居
不明神社

不明社

[神社]

栃木県さくら市狭間田909

上記星宮神社二社の中間に鎮座。道路沿い上方に鳥居が見える。詳細不詳。
本殿
南から 東から
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県さくら市狭間田909

上記不明社の東となりの斜面に鎮座。木立にかくれて鳥居が見える。
大白稲荷大明神,正一位稲荷大明神,三光大明神,八幡大菩薩の神札が納められている。詳細不詳。
かろうじて鳥居が見える 本殿
上記不明社方向

 

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