▊塩谷郡・矢 板 町『下野神社沿革誌』巻七-3丁(明治三十五年1902)
本町は矢板,富田,木幡,川崎反町,境林,舘の川,高鹽,倉掛,片俣,鹽田,幸岡,荒井,下太田,針生,中及ひ土屋の舊十六村を合せしものにて其幅員東西凡二里南北一里廿五町にして矢板は殆と其中央に在り 自餘の部落其四周を包圍するものゝ如し 地勢平坦にして小丘あるのみ 水流數派あり其大なるものを内川とす 南流して片岡村に入る 各大字部落徃来の便に至りては縣道縦横に通し且つ日本鐡道東北線は矢板に停車塲を置き以て各地へ復徃の利便を有せり 風俗敦厚にして勤儉の風あり 矢板は商業に其他は農耕に従事し頗る勤勵す
舊各村の沿革を尋ぬるに徃時は各領主を異にし矢板富田針生は堀田相模守 中村は堀田及ひ岡部の分領に属し 川崎反町境林舘ノ川倉掛片俣鹽田幸岡は戸田土佐守の領邑にありしか維新后栃木縣の所轄となり第三大區三小區に編入せれ敷次の變遷を經て三戸長役塲に分属し遂に又合して今日の一自治區をなすに至りしものとす
本町には有名なる郷社木幡神社及ひ村社十五社あり氏子戸數八百九十餘戸人口五千餘人を有す
木幡

木幡神社

[きばた神社]

栃木県矢板市・木幡1194


主祭神:天之忍穂耳命 配神:事代主命・田心姫命・大己貴命 境内社:八幡神社(高龗神など祭神23柱) 7307.9坪。
宇都宮市からは242号線で東北道をくぐり,左手に川崎城趾,ともなり信生庵を見て直進,内川を越え,東北本線の踏み切りを渡ると前方に南北に横たわる杉の山が見える。この南端に鎮座。
途中に冠木門が見えるが,鳥居と見てよい。これは裏の入口。一の鳥居は駐車場のさらに南。一の鳥居も裏門の鳥居と同じ笠木のない冠木門形式。柱のてっぺんに屋根が付いている。
脇に生駒神社,馬頭尊石塔。
一の鳥居の右手に下社。神仏混交の時代に楼門を守護していた仁王像2体がこちらに遷されている。
二の鳥居は木製朱塗り,「塩谷惣社大明神」の扁額。
鳥居左手に「男體山(天保十三年1842)」「熊野三神(文化五辰1808)」「廿三夜供養」「湯殿山」他の石塔,六手青面金剛?一基。
延暦十四795年創建の古社。石段手前左手に由来書看板があるので詳しくは写真を。
石段を上ると室町中期の楼門。屋根は後年銅板葺に改装されている。本殿も室町中期。
拝殿額に「正一位木幡社,日光山大明神」,これは神庫に保管されている花山院筆の神号奉額を模したもので額縁も似ている。神社でなく木幡社となっている点も同じ。書体は別様。「矢板市の文化財」No.44で確認できる。
ついでにNo.27は神像3躯,宝暦十四年1764の大国主尊,元久二年甲九月1205の田心姫(ただし甲が合わないので元久かは不明),味耜高彦根命。No.29日光山との縁で境内に保存されている元和二年1616の鉄灯籠。No.30は陶製狛犬。No31蝉錠。No.51太々神楽。No.45拝殿左側に架けられている「安政戊午歳九月」1858の和算扁額。No.70社叢。
和算額の左に「伊勢太々神楽圖」。拝殿正面に「安政七年申二月」1860の板絵。拝殿回廊突き当たりの対の板絵。他三枚の板絵はすでに絵柄は見えない。
右手の昭和14年の狛犬は子持ち,左は毬持ち。
本殿裏手に「無盡水」
ここには合祀社がなんと23社あると記録されているが,石祠の類はひとつもなく,稲荷社と八幡神社と思しき社が本殿裏手にあるのみ。高龗神は境内または境外社の祭神として記録されている。南の木幡332に鎮座する龍神神社の祭神かもしれない。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 黒谷木幡日光大明神 木幡 高塩亘
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-4丁
矢板町大字木幡鎭座 郷社 木幡神社 祭神正哉吾勝々速日天忍穏耳命 相殿三座二荒山神社 祭神大已貴命事代主命田心姫命 祭日陰暦三月十五日九月九日 建物 本社間口三間奥行二間前九尺脇三尺の濱縁付栃葺 拜殿間口四間奥行二間半萱葺 神門間口三間奥行二間 鳥居一基高三間三尺間二間三尺 御饌所間口六間奥行二間 御旅屋間口三間奥行三間 寶物 赤鶴面一面 陶造犬牡牝二疋右大将源頼朝奉納 太刀一振萬治二年1659九月鹽谷住人大澤忠兵衛信勝の奉納 蛇臺石一箇古昔より本社に有て由緒奉納者不明 氏子六十六戸 社司塚原高廣同村同大字住
本社は桓武天皇の御宇延暦十四年795の創建にして征夷坂上田村麿の勸請なり明治五年郷社に列せらる
社記に曰く坂上田村麿は山城國宇治郡木幡大神を尊信すること年久し 時に延曆十一年蝦夷乱を起す 朝廷大伴弟麿を以て征夷大使とし坂上田村麿を以て征夷副使として蝦夷を征せしむ 此時田村麿木幡大前に戰捷を祈願し功績あらは一祠を建立せんと誓い東下す 時に遠江國の住人高島信保同信房兄弟軍に従ふ 同十年本郡峯村に宿陳し軍備を整ひ進み連戰年を度り遂に蝦夷を減し以て捷を奏す 同十四年凱旋の時又峯村に陳す 此地景を視て四神相應の地なれは又大神の御心にも叶ふべし宿願を果すは此地なりと峯村に本社を建て山城の國より木幡大神を遷座し此より峯村を改めて木幡村と號すと 后大同二年今の地に遷座して高島信房に命して神主となす 信房姓を改め高鹽と稱し本社に奉仕せしむ 今尚田村麿の自ら東夷の面を彫造し赤鶴の面と稱して本社に納めて藏せしむ 偶々旱魃の時には本社に詣て雨を祈る時此面を内川淵に浸入すれは必靈驗ありと云ふ 故に旱天の時は遠近の村邑より來りて祈雨するもの年に月に盛なり 朱雀天皇の御宇天慶三年940藤原秀郷平貞盛と相馬の將門追討の時宇都宮神社及ひ本社へ戰勝を祈り速に誅伐す此事朝廷に聞へて宇都宮神社へ勲一等を賜はり本社へは社領一千石を寄付せらる 此故を以て今尚宇都宮神社と本社には遊行の神事とて十一月より十二月の中の子午日の間は麻苧をうます針機をとらすと云ふ例あり 後冷泉天皇の御宇天喜五年1057鎭守府將軍源頼義其子八幡太郎源義家奥羽討伐の時本社より十有八丁東なる玉取と云ふ所に野陳し従者加藤景通藤原頼茂清原貞廣等を引率し一周日参籠潔斎して戰勝安寧を祈りたりと云ふ 今に野陳の跡に八幡太郎旗掛の松あり今も尚鬱々として繁茂せり 後鳥羽天皇の御宇建久四年1193四月源頼朝那須野に狩する時闔國に犬病發し國中に播染し士民大に困む 偶々右大將の卒ひし愛犬も傳染して狂犬となる 公大に患ひ該犬をして本社の瑞籬に繋き犬の病癒へんと國民の難を救護あらんことを祈願す忽ち靈驗ありて愛犬の病は平癒し國内の狂犬も治し患難消滅して士民安堵す 故に今に本社より病犬除の守符を出すは此緑なりと云 後徳川三代將軍家光公崇敬ありて慶安元年八月十七日を以て本村地内に於て高二百石の朱印を賜はり本社に日光二荒山神社を相殿に合祀し日光輪王寺宮を以て別當に附し崇祀せしむ 傍に神主高鹽氏社家頭塚原氏及ひ社家十四戸を置き平常奉仕せしむ 明和四年二月日光法親王宮の執奏により同年十一月四日を以て勅宣正一位を授けらる 神威赫灼として盛なり云云
社域三千三百六十三坪高丘の地にして古杉老檜蔚然として繁生し宛も仙境に在るか如し 華表には花山院の宸筆鹽谷惣社大明神の扁額并に神門には輪王寺宮宸筆正一位木幡神社日光山大明神扁額を掲く 殊に神樂の如きも古雅荘嚴一々古式に協ひ孟浪競新の者流と異にして人心を和樂感興せしむるに足る 又本社は陸羽街道及ひ日本鐵道の東北線路にあり矢板停車塲を距る八丁餘ありて參拜者の便ならさるはなし 故に日々賽するもの尠からすと云ふ
一の鳥居 下社
下社内の仁王像 二の鳥居
楼門
和算額
鉄灯籠 鉄灯籠解説
子持ち 稲荷神社 無尽水解説
左端金網が無盡水 銅板葺の境内社
西側の鳥居 珍しい形
広大な社叢

龍神神社

[りゅうじん神社]

栃木県矢板市・木幡332

詳細不詳。木幡神社の南の田の中の小島に鎭座。朱塗りの鳥居,旗杭,覆屋があり,文字は何もない。
木幡神社にかつて合祀された可能性が高い。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)なのではないだろうか。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 八竜神
 
 
川崎神社

川崎神社

[かわさき神社]

栃木県矢板市・川崎反町817


主祭神:天孫瓊瓊杵命 配神:経津主命・武甕槌命
承暦二年1078伊泉五郎兼重によって創建される。星宮大明神と称し,維新に際し地名をとって川崎神社と改称。167坪。
塩谷朝業築城の川崎城跡の北部。新城跡の北東隣り。
承暦三年1079の拝殿は現存しないが承暦四年1080奉納の太刀が保存されているとんでもない神社。
大正七年1918上稲荷,下稲荷を合祀。大正七年「村社川崎神社経営之碑」には「里中ノ稲荷社二宇ヲ併合シテ」とある。「宇」は堂宇。上下ふたつの稲荷社を併合の意である。
『下野神社沿革誌』に「建久年中1190~99鹽谷五郎兵衛入道奉納 石燈籠四基」とある鹽谷五郎兵衛は源実朝と和歌を通して交流のあった塩谷朝成,出家して『信生法師集』を残した信生で,「嬉しさも匂いも袖に余りける、我が為折れる梅の初花」の短冊が東隣りのそば店「ともなりそば処信生庵」に掲げられている。
建久の燈籠は見つからず,文化十三子1816の奉納御神前石燈籠二基が立っている。和歌のような文字が刻んであるが無学にして「…香や御燈に移る…」「…も光…月の御燈」しか読めない。
すぐ南の川崎城跡に舘ノ川星宮神社。
例祭:10月20日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 星宮大明神
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-5丁
矢板町大字川崎反町鎭座 村社 川崎神社 祭神天津瓊瓊杵命 相殿二座經津主命 武甕槌命 祭日九月十二日 建物本社間口三尺六寸奥行六尺六寸栃葺 拜殿間口三間奥行二間杉皮葺 末社二社 木鳥居一基 石華表一基 建久年中1190~99鹽谷五郎兵衛入道奉納 石燈籠四基 寳物草鶴太刀一振承暦四年1080九月伊泉五郎奉納 古鏡一面正徳三年1713四月地頭戸田能登守奉納 氏子八十五戸總代四員 社掌檜山浪治同村大字同八番地住
本社勸請は伊泉五郎兼重にして往古屋宮大明神と稱せしか明治維新に際し川崎神社と改め村社に列せらる 拜殿の再建は承暦三年1079九月にして鹽谷五郎兵衛入道及ひ地頭戸田能登守の崇敬する所なり 社域百七十一坪高燥の地にて古杉森々として蓊欝し西南には古城跡ありて山水明眉の境なり
 
拝殿 拝殿額
昭和三年1928狛犬台座
 
文化十三子1816石燈籠
願主 村中 奉納御神前
 
 
  長い坂の参道 平成七年1995石燈籠
大正八年1919旗杭 鳥居柱
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県矢板市・館ノ川323


主祭神:経津主命・磐裂命・根裂命
木幡神社の西1.4km,川崎城跡に鎭座。境内から東北道が見下ろせる。創建年等不詳。
242号線から東北道脇を北に入ると川崎城跡公園駐車場があり,北に歩くと右手上方に鳥居が見える。なだらかな坂を上ると辿り着く。
大震災で倒壊した鳥居の再建碑。平成23年2011の鳥居だが維新前の称号「大明神」額を掲げている。拝殿内の額は「星宮神社」。石段上の「奉寄進」石燈籠は年号読み取れず。大正かもしれない。
例祭:10月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 青柳大明神 五月女 正福寺 →川崎反町の龍泉寺付近に正福寺跡があり薬師堂が建っていたので,とりあえず当社に当てておく。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-6丁
矢板町大字舘野川字星宮鎭座 村社 星宮神社 祭神經津主命 磐裂命 根裂命 祭日陰曆九月廿九日 建物本社間口三尺奥行五尺 雨覆三間四方 石鳥居一基 氏子十九戸 社掌河井晴同村同大字住
本社創建年月詳ならす 社域百七十七坪高燥にして鹽の谷の古城趾東北に接せり
大明神額
右下に東北道
本殿

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県矢板市・館ノ川248-1

主祭神:倉稲魂命
詳しいことは分からない。
境林

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県矢板市・境林825

主祭神:経津主命・磐裂命・根裂命 配神:神武天皇・素盞嗚命
創建年等不詳。三月最終日曜日に塩谷町風見より江戸時代に伝わった神樂が奉納される。483坪。
石段を上がって右手に明治三十六年癸卯1903神社合祀之記「塩谷郡屋板町大字境林村社星宮神社之外素有湯殿八坂之二社…」。境林に鎭座した無格社の湯殿・八坂二社を村社星宮神社に合祀し,拝殿を新調したことが刻まれている。そのとなりは大正九年1920十一月「鳥居建設寄付連名」碑。
明治四十五年1912手水石に下記の『下野神社沿革誌』記載の社掌河井晴の名が刻まれている。
境内左手に文化十三丙子年1816二十三夜,その右に石宮。
例祭:10月30日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-6丁
矢板町大字境林鎭座 村社星宮神社 祭神經津主命 磐裂命 根裂命 建物 本社間口一間奥行一間二尺 拜殿間口三間奥行二間 華表一基 氏子二十五戸總代三員 社掌河井晴同村同大字住
本社創立は遼遠にして詳ならすと雖も往古より一村の總鎭守神にして社域百三十八坪を有し奥羽國道より入ること馬塲二百間字星宮に鎭し境内には老杉古樹亭々と高く聳ひ社宇宏牡にして嚴粛神寂ひて古雅に富む 奉仕は往昔より河井家にて別當なりしか維新后復飾して奉務怠たらす毎年九月十九日例祭を行ふ
 
 
千木つき 拜殿内額
鳥居建設・合祀碑 手水石
社掌河井晴 二十三夜 文化十三年1816

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県矢板市・塩田1292

主祭神:事代主命・大己貴命 境内社:琴平神社・稲荷神社
延暦二十年801嶽山別当十九代山本寛翁坊弥雄役が事代主命を祀ったことに始る。333坪。
例祭:10月29日前の日曜日 熊野講祭:二月第二日曜日 餅をついて供える
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根大権現 塩田 村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-6丁
矢板町大字鹽田字宮ノ前鎭座 村社 箒根神社 祭神事代主命 祭日陰曆九月十八日十九日 建物 本社間口四尺奥行同 雨覆間口三間奥行同 拜殿間口三間奥行二間 華表一基 石燈籠二基 氏子三十三戸 社掌河井晴同村同大字住
本社創立詳かならす 社域三百十五坪にして境内には古杉蓊蔚と繁茂し神寂ひて雅致あり

八坂神社

[やさか神社]

栃木県矢板市・塩田552-1

主祭神:素盞嗚命
詳しいことは分からない。
熊野

熊野神社

[くまの神社]

栃木県矢板市・高塩132


主祭神:伊弉諾命・速日男命・事解之男命
創建年等不詳。
矢板塩谷線川崎城址から西に進んだ森の中にあることは分かったが,入り方が分からないので断念。
遠望写真をあげておきます。フジの花の右手あたり。
例祭:10月17日 熊野講祭:二月18日前の日曜日 餅をついて供える
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-6丁
矢板町大字高鹽字中ノ道鎭座 村社 熊野神社 祭神伊非冊命 速玉男命 事解男命 祭日九月十九日 本社間口五尺奥行六尺 華表一基 氏子十三戸 社掌河井晴同村同大字住
本社創立不詳にして社域百八坪坤方に山岳ありて東西北の三方耕田を周らし風色佳なり
建物が見える

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県矢板市・片俣608

主祭神:経津主命・磐裂命・根裂命
創建年等不詳。
例祭:10月中ごろの日曜日  熊野講祭:二月18日前の日曜日 餅をついて供える
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-6丁
矢板町大字片俣字澤中鎭座 村社 星宮神社 祭神經津主命 磐裂命 根裂命 祭日陰曆九月十九日 建物本社間口四尺奥行五尺 雨覆三間四方 拜殿間口三間奥行二間 鳥居木造一基 氏子十八戸 社掌河井晴同村同大字住
本社勸請年月詳かならす 社域百九十八坪本社南に向へ後に高山を控へ南熊野山に相封し景趣頗る佳なり
塩釜

鹽竈神社

[しおがま神社]

栃木県矢板市・上町6-11←矢板697

写真提供:Roku Jiiさん

主祭神:塩土翁命・武甕槌命・経津主命 配神:天照皇大神・素盞嗚命・別雷神・迦具土命・事代主命・少彦名命・大物主命 境内社:出雲社 厳島神社
『下野神社沿革誌』記載の創立年は200m西から現在地に遷宮した年で,それ以前にシオガマのにごった須釜あたりにすでに鎭座した。須釜は下塩田の東の幸岡付近。
塩土老翁が当地で山塩または温泉からの製塩方法を伝授し,その後宮城塩竈で海水塩の製塩を教えたと伝わり,伊達政宗が当社に参詣して宮城の塩竈に分霊を祀ったと伝わるので,「日本一社下野國鹽竈神社」と称した。
宮城では平安初期820頃編纂の弘仁式主税帳逸文に「鹽竈神を祭る料壱萬束」と記録された縁起を載せている。すると当社は奈良から平安頃の創建ということになる。
当社の方は天武天皇or清原親王‏or草壁皇子の「塩のやの八塩の里の/うちの貢物思ひは/思えは遠く来つる/みつるもの哉」をあげているが検証できない。
当地で病に伏せていた勝海舟が明治三十二年社額を揮毫して奉献した。
明治四十年1907以下の社を合祀
  神明宮 八坂神社 琴平神社 加茂神社 箒根神社
例祭:10月20日以降の日曜日
矢板市観光協会の塩竈神社紹介
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-7丁
矢板町大字矢板鎭座 村社 鹽鼈神社 祭神武甕槌命 經津主命 建物 本社 拜殿明治年間新築 木鳥居一基 石燈籠五基 氏子百二十餘戸 社掌塚原高廣同町大字木幡住
本社創立は天正八年1580にして九月の創立なり 社域百二十九坪平坦の地にして境内には古杉亭々と高く聳ひ若櫻を植ゑ春は萬櫻乱發し艶雲香雲凝つて流れす洵に絶佳と云ふへし
中央白地:勝海舟筆
神楽殿 神輿庫
神輿

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県矢板市・下太田86

写真提供:Roku Jiiさん


主祭神:譽田別命
元弘三年1333頃に祀られた枇杷ヶ原村の個人の氏神を村の守護とした。
下太田はもと矢板村,上太田はもと泉村だった。
例祭:9月9日以前の日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-7丁
矢板町大字下太田鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口二尺八寸奥行二尺六寸 末社一社 氏子二十八戸 社掌塚原高廣同町大字木幡住
本社は字枇杷ヶ原に在りて百十四坪を有せり

北野神社

[きたの神社]

栃木県矢板市・下太田671

主祭神:菅原道真公
承応二年1653創建と伝わる。文化年間1804~18に本殿を改築。94.76坪。
例祭:3月25日前の日曜日

住吉神社

[神社]

栃木県矢板市・中587

主祭神:中筒男命
源頼純が11世紀初めに御前原城に勧請。落城とともに変遷を経て現在地に遷宮。
例祭:3月28日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-7丁
矢板町大字中鎭座 村社 住吉神社 祭神中筒男命 建物本社間口五尺奥行一間 拜殿間口三間奥行一間半 氏子十七戸 社掌塚原高廣同町大字木幡住
本社創立不詳 再築は寛政五丑年二月廿日にして社域二百四十六坪字高田入に在り

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県矢板市・倉掛228<885-2

主祭神:経津主命・磐裂命・根裂命
創建年等不詳。四斗薪にあったが大正十二年1923現在地に遷宮。600坪。『下野神社沿革誌』記載の28坪は四斗薪に鎭座したときの境内地。
例祭:10月中旬の日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-7丁
矢板町大字倉掛鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命 根裂命 建物本社間口一間半奥行一間一尺 氏子二十六戸 社掌河井晴住所同上
本社創立不詳 社域二十八坪字四斗蒔にあり 境内には老樹亭々と高く聳ひ風致愛すヘし

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県矢板市・土屋726

主祭神:大己貴命・事代主命・豊城入彦命
延暦十年791宇都野の嶽山箒根神社より勧請。270坪。
例祭:10月9日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-7丁
矢板町大字土屋鎭座 村社 箒根神社 祭神少彥名命 建物本社間口二尺五寸奥行同 拜殿間口三間半奥行二間二尺 氏子三十七戸總代三員 社掌橋本喜和目同郡泉村大字山田住
本社創立は延暦十年791九月にして社域百八十九坪字森の上にあり

加茂神社

[かも神社]

栃木県矢板市・土屋713-9

主祭神:別雷神
詳しいことは分からない。

八坂神社

[やさか神社]

栃木県矢板市・土屋437

主祭神:素盞嗚命
詳しいことは分からない。

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県矢板市・針生718

主祭神:少彦名命 配神:天照大神・軻遇突智命・居森神 境内社:天満宮・琴平神社
白鳳三年674!宇都野の嶽山箒根神社の奥宮と推定する黒嶽山神社より勧請と伝わる。『下野神社沿革誌』は宝亀元年770創建説を載せている。
嶽山箒根神社が記録されるのが元慶元年877頃なので,それより100年前の言い伝えで,少しやりすぎかもしれないが,相当の古社なのだろう。
例祭:10月29日前後の日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-7丁
矢板町大字針生鎭座 村社箒根神社 祭神少彥名命 建物本社間口二尺五寸奥行同 拜殿間口四間奥行二県半 末社二社 石燈籠五基 華表一基 氏子二十三戸
本社は寶龜元年770九月の創立にして社域四百三十三坪高陵の地にあり 石磴四十九階躋りて拜殿に到る 境内には古杉老樹高く聳ひ眺矚絶佳なり
芭蕉

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県矢板市・扇町2丁目14-2-1

主祭神:倉稲魂命
矢板中央高校の南,昔大興電気工業の工場があった。鮮やかな朱色の鳥居と本殿。
境内には芭蕉の句碑が保存されている。
「芭蕉翁」「寛政三年1791十月十二日」「願主果玉房十只」の文字が見える。大正五年1916に土台が修復されている。字の消えた看板が足もとに置いてある。かつては「原中や 物にもつかす 啼く雲雀」と書かれていた。続虚栗に収録されている。
大正五年1916手水石。昭和四十年1965石燈籠。昭和四十五年1970玉垣。平成四年1992一の鳥居。
本殿 寛政三年
芭蕉翁 句が書かれていた看板
昭和四十年1965 大正五年1916 昭和四十五年1970
下の方に「願主果玉房十只」

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県矢板市・鹿島町11-14

主祭神:武甕槌命・倉稲魂命 境内社:鹿島神社・稲荷神社・大杉神社・白髭神社
寛永四年1627創建。 延享二年1745石燈籠。
『鹿沼聞書』では鹿島と稲荷がひとつに植字されている。
例祭:12月15日 初午祭:二月初午 天王祭:7月26-27 風祭:9月上旬
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 鹿島大明神正一位稲荷大明神 富田 長福寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-8丁
矢板町大字富田鎭座 村社 鹿島神社 祭神武甕命 建物本社間口四尺一寸奥行四尺九寸 末社七社 氏子三十六戸 社掌塚原高廣同町大字木幡住
本社は寛延四年1627三月常陸國鹿島神宮を奉遷せしものにて京都本山繹院大僧正の勸請なり 社域五百十二坪字後原にあり

劍神社

[つるぎ神社]

栃木県矢板市・幸岡939 こうおか 字剣下

主祭神:日本武尊 配神:大日孁貴命・事解之男命・国常立命・火産霊命・素盞嗚命・倉稲魂命・伊邪那岐命・猿田彦命・速玉男命・木花開耶姫命 境内社:八幡神社
創建年等不詳。宝物に備前長船兼光作の脇差。
康平七年1064源頼義が当地に祠を建て,太刀を納めたので剱の宮と称した。
長井1945との境界に鎭座。 例祭:10月15日
下記の村名「高内」は不明だが劍山大明神と記述の順から判断した。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 剣山大明神 高内 密乗院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-8丁
矢板町大字幸岡鎭座 村社 劍神社 祭神日本武命 建物本社間口五尺七寸奥行一間半 氏子六十五戸
本社創立不詳 社域二百四坪を有し字劍下に在り

箒根神社

[ほうきね神社]

栃木県矢板市・荒井292

主祭神:大已貴命・事代主命・豊城入彦命
創建不詳ながら延長二年924宇都宮二荒山神社より勧請と伝わる。享保六年1721の棟札あり。
例祭:10月15日前の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根権現 荒井 東光寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-8丁
矢板町大字荒井銀座 村社 箒根神社 祭神大已貴命 事代主命 少彥名命 建物本社間口四尺八寸奥行一間半 拜殿間口三間奥行二間 末社五社 氏子二十一戸 社掌塚原高廣同町大字木幡住
本社創建不詳 社域二百九十坪字宮の近所に在り


▊塩 谷 郡『下野神社沿革誌』巻七-35丁(明治三十五年1902)
本郡市街は氏家喜連川矢板とす 矢板は郡役所を置れて以來市街地をなせるものにして最も氏家喜連川を以て第一繁盛の地とす
郡内名勝舊跡として數ふへきは鹽原を始めとし衣川狐川及ひ鹽の屋の里あり舊城主には喜連川,氏家,泉,川崎,鹽原等にして古戰塲は彌五郎坂あり其他遺跡には賴政の窟宇都宮持網の墳墓高尾の碑等あり 神社には木幡の木幡神社喜連川の喜連川神社及ひ伯耆禰神社宇都野の嶽山神社氏家の今宮神社鹽原の八幡宮 佛寺には佐貫の觀音鹽原の妙雲寺等あり又以て考古の資料たらんか 本郡の物產は木材薪炭等にして最も多量の良材を出せり 次に本郡に關する歷史の大要を記し徃古治者の變遷沿革を擧けむ 抑も本郡は初め鹽屋と呼ひ倣したるは多く山鹽を產せしめしより斯く名附しものと見ゆ こは萬葉集に鹽屋郡上ノ丁丈部ノ足人か歌見ゆ其頃より鹽屋と呼ひしあらんか 后紀元千七百年代鹽屋氏なるものありて川崎郷に城く此れ源義家の男義親罪ありて其子孫賴純流罪となりて當地に來り鹽屋氏を稱せしにや始れり 次て治承年間鹽原八郎家忠鹽原城を築き源賴政の一族を庇護し今尚鹽原に賴政窟の遺跡を存せり 後壽永三年1184鹽屋正義喜連川に城けり 次て建久年間宇都宮公賴氏家に城きて氏家氏を稱せり 其后南北朝の時代を經て紀元二千百年代宇都宮の援軍佐竹氏の臣松野禰五郎舊戰數十人を殪して遂に討死す今に彌五郎坂の古戰塲是なり 次て天正十八年川崎鹽屋亡ひ司年又喜連川の鹽屋減亡し足利國朝其城主となりて世々喜連川氏を稱し十三代縄氏に至り足利の本姓に復せり 爾來足利氏の領する所となる 明治維新に及ひ同三年足利聰氏阪圖を奉還するに至れり 明治五年癈藩置縣の令あり 更に宇都宮縣に属し后又栃木縣に属し郡長の主掌する所となり次て今日の町村自治をなすに至れり
本郡現在の町村數は三町十三村にして郷社三社及ひ村社百四十二社其氏子戸數八千四百五十餘戸人口五萬五千二百九十餘人を有せり
本郡教育の如きは着々進歩せさるなきに非す 加ふるに一歩を進みて本縣農學校を野崎村に置かれ農事の改良等依て以て資すヘきもの又少なからす

 

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