▊塩谷郡・泉 村『下野神社沿革誌』巻七-41丁(明治三十五年1902)
本村は小泉,上太田,東泉,長井,立足,平野,上下伊佐野,山田及ひ田野原の舊十村を合併したるものにて其幅員東西凡二里十八町南北凡二里廿町にして小泉は殆と本村中央に位し各大字四周にあり民居點々相接せり 地勢西に高原山脈を負ひ箒内及ひ宮川の三川南流し村民多くは素朴にして農業を勤め貯蓄の風あり
古來沿革に付ては徃時は上下伊佐野は平岡石見守に田野原は大友式部伊澤美作守に小泉は大友氏東泉は伊澤氏上太田は堀田摂津守の領邑に屬し各村領主を異にせしか維新后栃木縣の管轄に属し第三大區三小區に編入せられ次て一戸長役塲の所轄に歸し以て現時自治の一村とはなりぬ
本村には村社十一社其氏子戸數五百五十餘戸人口三千七百餘人を有す
箒根
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・東泉561
主祭神:豊城入彦命・大己貴命・素盞嗚命
遠い昔に宇都野より勧請。消失の後大永四年1524再建。天保六年1835再度消失するも嘉永元年1848再建。本殿の額は荘子逍遥遊から「正気磅礴[ほうはく]」,ついていけない学識。
額に「維新萬延元庚申年1860稔九月」とあるらしい。維新の始期をペリー来航1853とすれば,その7年後,1868年の8年前に矢板あたりで維新の時代を生き抜いているとの認識をもった人物がいたことになる。
明治四十年1907白髭神社(猿田彦命),湯殿神社,浅間神社,加茂神社,愛宕神社,芭蕉神社(菅原道真公),稲荷神社,月山神社を合祀。
「社地が尊厳を保持し難く」かつ火災を避ける観点から明治八年1875十月一日岡本氏城址南端の鏡山寺の西隣り愛宕・加茂神社跡地に遷宮,壯麗な社殿を造営した。
本社再建時の大永四甲申年1524御厨子一基を蔵す。
天保四年1833石燈籠。
例祭:10月19日前の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根権現 東泉
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-43丁
泉村大字東泉鎭座 村社 箒根神社 祭神大已貴命 豊城入彥命 素蓋嗚命 建物本社間口一間四寸奥行一間一尺 氏子五十四戸
本社創立不詳 後大永四年1524九月本社再建せり 社域三百四十四坪ににして淸洒の地にあり
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・田野原294
主祭神:豊城入彦命・大己貴命・事代主命
関谷街道から田野原公民館を過ぎて東北道のトンネルをくぐって右手に入ると石鳥居。
霊亀二年716宇都野より勧請。明暦三年1657消失,安永四年1775再建。
明治三十九年1906八幡神社,愛宕神社,雷神社を合祀。
例祭:10月19日前の日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根権現 田野原 歓喜院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-43丁
泉村大字田野原鎭座 村社 箒根神社 祭神 豊城入彥命 建物本社間口二尺五寸奥行四尺 末社一社 氏子二十九戸
本社創立不詳 社域四百七十四坪字宮の前に在り
松尾
松尾神社
[まつお神社]
栃木県矢板市・田野原291-1
写真提供:Roku Jiiさん
主祭神:大山咋神
上記箒根神社のすぐ北東。
霊亀二年716宇都野より勧請。明暦三年1657消失,安永四年1775再建。
明治三十九年1906八幡神社,愛宕神社,雷神社を合祀。
「松尾神社」と刻んだ石版が祀られている。石燈籠一対。鳥居額には「徳薦馨香」。出典は「神所憑依 将在徳矣 若晋取虞 而明徳以薦馨香 神其吐之乎」(春秋經傳集解譯稿6 p.119)か。「馨香」[けいこう]で香りが遠くにおよぶこと。『説文』に「馨 香之遠聞者」
例祭:10月19日前の日
愛宕神社
[あたご神社]
栃木県矢板市・泉39-3
主祭神:火産霊命
つくりは,お堂で石仏が立ち石塔多数。大青面金剛銘の道標がある。
八坂神社
[やさか神社]
栃木県矢板市・泉385-1
主祭神:素盞嗚命
泉小学校の隣り。
平野箒根
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・平野471
写真提供:いやし厨房火あぶり
主祭神:豊城入彦命
明暦四年1658造営。『栃木県神社誌』平成18年版に明暦五年とあるが明暦は3年3か月3日なので四とした。
嘉永二年1849本殿修理,明治十五年1882本殿拝殿改築。
本殿彫刻は笠間稲荷の本殿を彫った五島縫之助の作。
鳥居右手に熊野大神,左手に八坂神社。
境内に大黒天,出羽三山石塔など。
例祭:9月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-43丁
泉村大字平野鎭座 村社 箒根神社 祭神豊城入彥命 建物本社間口一間一尺奥行一間半 氏子三十六戸
本社創立不詳 社域八百廿三坪字明内に在り
麓山神社
[ふもとやま神社]
栃木県矢板市・上伊佐野197
主祭神:神倭磐余彦命・大己貴命・事代主命 大山祇命・天照皇大神・軻遇突智命・五行之神・南方刀美命・伊弉諾命 境内社:神明神社・愛宕神社・鬼渡神社・熊野神社・諏訪神社・湯殿神社
針生718の箒根神社由緒にある黒嶽山に白鳳二年673創立。宇都野の嶽山箒根神社の奥宮と重なるのだが,当社は「橿原箒根神社」と称した。神護景雲年間767~770に古社峰に遷宮,さらに麓山に遷り麓山大明神と改称。ここまでの社伝だと県内最古の社のひとつということになる。
安政四年1857神祇官領占部朝臣より「正一位麓山神社箒根大明神」神階を賜る。これが地図に箒根神社で載ってしまう原因になっている。
明治四十年1907三島神社,諏訪神社,湯殿神社,大山祇神社,神明神社,愛宕神社,鬼渡神社を合祀。
例祭:10月20日前の日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-41丁
泉村大字上伊佐野麓山禰宜内鎭座 村社 箒根神社 祭神 神倭磐余彥命 相殿五座祭神句々廼命 金山彥命 軻遇突智命 水速女命 埴山咩命 祭日陰曆九月十九日 建物本社間口一間二尺奥行一間一尺栃葺 雨覆間口三間奥行二間□拜殿間口三間奥行二間 末社二社 木華表一基 石燈籠三基 石像大國主神一軀 洗手盤一基 寶物神武天皇像一軀源義家奉納 神鏡二面 奉幣串三本 勅宣正一位支の位記 古書二通 孝明天皇御親筆神號勅額一面 中務卿有栖川幟仁親王御親筆神號扁額一面 奉幣箱一個安政四年1857十一月十日禁裏御所奉 奉幣箱一個安政四年1857六月三十日神祇官領長上奉 地頭平岡石見守奉納紳號扉額一面 氏子三十八戸 社掌赤塚滸同村大字同二六番地住住
本社は白鳳二年673十月を以て箒川の水源黑嶽山頂に祠建て神日本磐余比古命大己貴命事代主命を祀り橿原箒根神社と稱せしか濫觴にして后神護景雲年中に古社嶺に遷祀し伊佐野村の鎭守神と崇敬す 后麓山に遷座して麓山大明神と改稱す茲より衆庶の信仰する處となりぬ 就中天喜五年1057源義家奥羽征伐の砌り本社に戰勝を祈らせ給ふ時五行を司る五柱の神を相殿に祀らせ殊に神武天皇の御像及ひ御鏡等の奉納あり 又地頭平岡岩見守の崇敬にて神田三反二畝餘歩を寄附せられしより維新の際まて附せ置る 本社は文明八年1476再築に及ふ 明應三年1494上下伊佐野と分村の際下伊佐野村へ本社より分靈を遷して鎭守紳となせりより上伊佐野一村の鎭守神となること本社舊記に明なり 安政四年正月赤塚周防守上京し神社管領長上卜部朝臣の傳奏に依り安政四年1857十一月十日を以て下野國鹽谷郡麓山大明神に勅宣正一位の位記を授けらる 殊に光明天皇より神號の勅額二品行中務卿幟仁親王御親筆の扁額地頭平岡石見守の奉額等を藏して管内稀有の社なり 神職は赤塚重廣より代々連綿として本社に奉仕す 社域三百三十坪高丘の地にして五十六階の石磴を登れは杉檜蔚々蒼々森然として晝尚暗く後には山岳を負ひ東は内川の淸流滾々として山水の明媚と共に古色靄然として神威赫灼たり
水分神社
[みくまり神社]
栃木県矢板市・上伊佐野953
主祭神:天之水分大神
ゼンリン地図。
例祭:月日
槙ヶ岡神社
[まきがおか神社]
栃木県矢板市・下伊佐野973-1532
ゼンリン地図。詳しいことは分からない。
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・下伊佐野238
主祭神:豊城入彦命 配神:大己貴命・事代主命・大日孁貴命・譽田別命・木花開耶姫命・大山祇命・月読命・軻遇突智命・大雷命 境内社:八坂神社
上記麓山神社の下宮にあたる。明応三年1494に伊佐野村が上伊佐野,下伊佐野に分かれたときに田の中に下宮をつくった。寛文九年1669に字御山に遷宮したが延宝二年1674に古記録共々消失したため旧社地に戻り,元禄四年1691に社殿を造営した。
明治三十九年1906神明神社・八幡宮,富士山神社,月山神社,山神神社を合祀。
明治四十年1907愛宕神社,雷電神社を合祀。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
箒根三社 伊三野 赤塚周防 箒根大権現,日光大権現,熊野大権現
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-42丁
泉村大字下伊佐野鎭座 村社 箒根神社 祭神伊弉諾命 大已貴命 事代主命 建物本社間口一間奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 幣殿九尺四方 木華表一基 氏子三十三戸 社掌今平武敏同村同大字住
社傳に曰く本村は徃古伊佐野村と稱し上下一村なりしか明應三年1494中分裂して兩村となりぬ 當時麓山神社を一村の鎭守神と崇敬せしか后分靈して本社を勸請すと云云 社域百三坪平坦の地に在り 境内に繞らすに渠川の淸流を以てす 神橋を渡れは石の燈籠左右に並列し本社拜殿壯麗にして老杉蔚々と聳ひ四境開濶概ね田甫に接し杉風除ろに袂を吹いて淸洒自ら襟懐を淸ふするの境なり
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・長井2515
主祭神:神倭磐余彦命・大己貴命・事代主命
延長二年924修験者の宮本菊蔵院秀寛が宇都宮二荒山神社より勧請,法喜根神社と称した。明治十年1877箒根神社と改称。
例祭:旧暦9月29日前の日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-42丁
泉村大字永井鎭座 村社 箒根神社 祭神 神倭磐余彥命 大己貴命 事代主命 建物本社間口四尺五寸奥行一間 雨覆一棟 華表一基 石燈籠二基 末社一社 氏子八十二戸 社掌宮本勝位同村大字同住
本社創立遼遠にして詳ならす 社域八十六坪高燥の地に在り 石磴百廿五階躋りて本社に逹す 境内には老樹若杉蓊蔚として繁茂し深邃にして風色佳なり
多賀三島神社
[たがみしま神社]
栃木県矢板市・長井2062
主祭神:伊邪奈岐命・伊邪奈美命・大山祇命 境内社:天満宮・琴平神社・稲荷神社・十二社神社
建久二年1191創建。近江の多賀神社から伊弉諾命・伊弉冊命を,伊豆の三嶋神社より大山祇命を勧請した。
寛政八年1796消失のため新築。昭和十二年1937改築。
例祭:4月第一日曜日 大和流太々神楽
八坂神社
[やさか神社]
栃木県矢板市・長井1278
主祭神:素盞嗚命
創建年等不詳。神社合祀の嵐で森山の箒根神社に合祀されたが,氏子に不幸が続出したので再び現在地に帰ってきた。
例祭:7月14日
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・山田1021
主祭神:豊城入彦命・大己貴命・事代主命 配神:応神天皇・倉稲魂命・菅原道真公・別雷神・軻遇突智命
天正年間1573~92に山田筑前守業辰が宇都宮二荒山神社より勧請と伝わる。
例祭:10月17日前の日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-43丁
泉村大字山田鎭座 村社 箒根神社 祭神大己貴命 少彥名命 豊城入彥命 建物本社間口五尺奥行七尺 拜殿間口三間奥行二間 末社二社 氏子五十戸 社掌橋本喜和目同村同大字住
本社勤請年月遼遠にして不詳 社域百十四坪高燥の地に在りて六十六階の石磴を登れは左右に石の燈籠及ひ石の盥漱盤あり 赤き鳥居を潜れは又十五階の石磴あり 之を躋れは石の燈籠左右に並列し東に箒川を控ひ境内には古杉老樅若杉を交へ森々と繁茂し神威は箒川の水音と共に高し
八坂神社
[やさか神社]
栃木県矢板市・山田1021
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・立足894
主祭神:大己貴命・豊城入彦命・少彦名命
遠い昔に宇都野より勧請。
例祭:9月19日前の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 荒人神 立足 手塚和泉
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-43丁
泉村大字立足鎭座 村社 箒根神社 祭神大己貴命 豊城入彥命 少彥名命 建物本社間口四尺奥行一間二尺 氏子二十二戸
本社は本郡宇都野村に鎭座せる箒根神社の分社にして元禄年中1688~1704本社再建す 社域百入十九坪字禰宜内に在り
箒根神社
[ほうきね神社]
栃木県矢板市・上太田213
主祭神:豊城入彦命
当社の本社は宇都野の嶽山箒根神社で,天文十二年1543に太田備前守永存が宇都野鳩森城を攻め落し御分霊を自分の領地の字森一丁田(小泉の小字,森一町田とも)に勧請した。
例祭:10月19日前の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根権現 上太田
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-44丁
泉村大字上太田鎭座 村社 箒根神社 祭神豊城入彥命 建物本社間口四尺奥行九尺 末社二社 氏子三十一戸
本社は白鳳年中本郡宇都野村に鎭祭せしを後本村に遷祀し享保年間1716-36本社を再築す 社域三百二坪字(森ヌケ)一町田の淸洒の地に在り
箒根三島神社
[ほうきねみしま神社]
栃木県矢板市・泉613
主祭神:大己貴命・大山祇命 配神:豊城入彦命 境内社:愛宕神社・鹿島神社・雷神社・権現神社
寛政十一年1799二月十七日創建。出雲大社より箒根神社を,伊豆の三嶋神社より御分霊を勧請。昭和二十五年1950台風で大破,同年本殿と拝殿を新築。
613は欠番で,鎭座地が特定できなかった。東北道と八方道路の交差トンネルの北の森にわりと大きな屋根が見えるが,住所は平野28-1になっている。石段の上り口の住所は和泉。社殿は平野。住居表示変更ではなかろうから,未発見とする。
Google地図の泉小学校南に箒根三島神社マークがあるが『栃木県神社誌』平成18年版の写真とはほど遠く,鳥居もなく500坪ありそうもない。
574坪。間口三間奥行二間の拝殿,石鳥居。
小泉は昭和二十九年1954十二月から泉に。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 箒根権現 小泉
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-44丁
泉村大字小泉鎭座 村社 箒根神社 祭神 豊城入彦命 大已貴命 素蓋鳴命 建物本社間口五尺奥行一間一尺 末社一社 氏子三十六戸
本社創立年月不詳 社域五百五十三坪を有し字宮の前に在り
神社か
[神社]
栃木県矢板市・上伊佐野496-1
上伊佐野119-1に石燈籠
▊塩 谷 郡『下野神社沿革誌』巻七-35丁(明治三十五年1902)
本郡市街は氏家喜連川矢板とす 矢板は郡役所を置れて以來市街地をなせるものにして最も氏家喜連川を以て第一繁盛の地とす
郡内名勝舊跡として數ふへきは鹽原を始めとし衣川狐川及ひ鹽の屋の里あり舊城主には喜連川,氏家,泉,川崎,鹽原等にして古戰塲は彌五郎坂あり其他遺跡には賴政の窟宇都宮持網の墳墓高尾の碑等あり 神社には木幡の木幡神社喜連川の喜連川神社及ひ伯耆禰神社宇都野の嶽山神社氏家の今宮神社鹽原の八幡宮 佛寺には佐貫の觀音鹽原の妙雲寺等あり又以て考古の資料たらんか
本郡の物產は木材薪炭等にして最も多量の良材を出せり 次に本郡に關する歷史の大要を記し徃古治者の變遷沿革を擧けむ 抑も本郡は初め鹽屋と呼ひ倣したるは多く山鹽を產せしめしより斯く名附しものと見ゆ こは萬葉集に鹽屋郡上ノ丁丈部ノ足人か歌見ゆ其頃より鹽屋と呼ひしあらんか 后紀元千七百年代鹽屋氏なるものありて川崎郷に城く此れ源義家の男義親罪ありて其子孫賴純流罪となりて當地に來り鹽屋氏を稱せしにや始れり 次て治承年間鹽原八郎家忠鹽原城を築き源賴政の一族を庇護し今尚鹽原に賴政窟の遺跡を存せり 後壽永三年1184鹽屋正義喜連川に城けり 次て建久年間宇都宮公賴氏家に城きて氏家氏を稱せり 其后南北朝の時代を經て紀元二千百年代宇都宮の援軍佐竹氏の臣松野禰五郎舊戰數十人を殪して遂に討死す今に彌五郎坂の古戰塲是なり 次て天正十八年川崎鹽屋亡ひ司年又喜連川の鹽屋減亡し足利國朝其城主となりて世々喜連川氏を稱し十三代縄氏に至り足利の本姓に復せり 爾來足利氏の領する所となる 明治維新に及ひ同三年足利聰氏阪圖を奉還するに至れり 明治五年癈藩置縣の令あり 更に宇都宮縣に属し后又栃木縣に属し郡長の主掌する所となり次て今日の町村自治をなすに至れり
本郡現在の町村數は三町十三村にして郷社三社及ひ村社百四十二社其氏子戸數八千四百五十餘戸人口五萬五千二百九十餘人を有せり
本郡教育の如きは着々進歩せさるなきに非す 加ふるに一歩を進みて本縣農學校を野崎村に置かれ農事の改良等依て以て資すヘきもの又少なからす