▊塩谷郡・片 岡 村 『下野神社沿革誌』巻七-8丁(明治三十五年1902)
本村は安澤,岡,越畑,松島,乙畑,大槻,石關,玉田,山苗代の舊九村を合せしものにて其幅員東西凡二里南北凡一里 地勢東に安澤長峯の山脈重畳起伏し西に高原山脈あり延て南に走り地自ら峻險なり 南に荒川あり又内川ありて安澤と越畑の間を南流す 村民朴直にして能く農耕に勤勵す
本村道路に至ては國道及ひ日光街道あり又東北線の停車塲ありて徃來交通に不便を感することなし
古來の沿革を尋ぬるに徃時安澤は旗下の釆地にして松島乙畑大槻山苗代石關越畑等は共に喜連川藩領に其他は佐倉宇都宮藩及ひ旗下の領邑に属し各村其領主を異にせしも維新后共に栃木縣所轄となり第三大區二小區に編入せられ其後多少の變遷を經て後又一戸長役塲の支配となり次て現時の自治區をなすに至れり
本村には有名なる玉田神社外村社九社あり 氏子戸數四百三十戸人口三千二百三十餘人を有す
勝善

生駒神社 勝善神社

[いこま・しょうぜん神社]

栃木県矢板市・玉田169

主祭神:豊宇気姫命 勝善親王・瓊瓊杵能命・猿田彦命 境内社:大山祇神・素盞嗚尊・椿大神・日吉大神・媼神様
建久四年1193創立。道沿いの目立つ看板に「勝善神社入口」とあり石標に「日本三勝善の一,玉田勝善神社参道」とある。看板脇に鎮座するのは「津島神社」で,その左脇の昭和七年1932社号標は「指定村社生駒神社」である。津島神社は津島牛頭天王で素盞嗚尊を祀る。
ここは正式名称が「生駒神社」で,本殿は左手の山の中に鎮座する。もともとは「勝善神社」と称し明治元年1868に「生駒神社」と改称した。いまは古称の「勝善神社」の方が有名になった。
山道の参道は車でも行けそうだが歩いてみた。いい運動になりそうなところで拜殿の屋根が見えてくる。ほどなく大鳥居が聳え広い境内に立派な社殿が現れる。右手には神楽殿。
那須の殺生石になる九尾の妖狐退治伝説の伝わる地で,詳しくは下記の『下野神社沿革誌』を。御祭神が豊受姫命である理由も明記してある。
勝善親王は牛馬を愛したので,農耕馬の休日である旧暦の「六月のお八日」には馬の祭りが行われた。また親王の命日旧暦正月28日には遠近の馬が吹流しや鈴をつけて多数参拝した。拝殿には昭和四年1929矢板馬車組合一同,昭和二年1927宇都宮駅南菊池運送所馬車一同,昭和十四年1939片岡馬車聯合組合,昭和三年1928宇都宮合同運送株式会社馬車組合創立記念などの額が奉納されている。間口一間一尺の御厩[うまや]があった。
勝善神社は珍しい社号で栃木県では芳賀町西高橋に鎭座したとの記録があるのみ。しかし「勝善神」と刻まれた石塔は栃木県には無数にあり,馬頭尊より多いかと思われるほどだ。「勝善神」石塔は当社を発祥とするだろう。
読み方は確定できない。玉田では[しょーぜんさま,そーでんさま]と発音するし,境内の由緒書には[ショウゼンサマ][カツヨシ・シンノウ]のルビがついている。[そうぜん]は蒼前からの附会の可能性が高そうだ。当社は勝善親王が起源なので地元の発音のように素直に音読みして[しょうぜん]でいいだろう。
大槻の石上神社では一條權守「勝善」,地頭職で九尾狐退治の伝説が伝わる。
境内社としては宇都宮市細谷町の雷電神社に勝善神社,祭神としては栃木市高谷の日枝神社祭神が勝善神で,ほかには見当たらない。
大槻の石上神社には当社より150年前の妖狐退治の伝説が伝わる。
嘉永四年1851石燈籠台座に馬の浮彫り。大正十一年1922生駒神社碑は高於菟三撰文,保田義嗣謹書,戸田忠友篆額でくっきりと全文が読める。妖狐横行から社殿造営,碑の建立経緯が刻まれている。
明治四十二年1909生駒神社と昭和七年1932鳥居改築記念碑
拝殿右手に大山祇神社,中に馬頭観世音となんとか大権現の木札が見える。
そのうしろの祠には神像が祀られているが,木札が読めない,女偏が見えるので媼神か?
道路沿いの津島神社脇に寛政四年1792十九夜,金精さま。
例祭:旧暦1月28日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-9丁
片岡村大字玉田字社城續鎭座 村社 生駒神社 祭神食保命 相殿一座9 祭神勝善親王靈 祭日陰曆正月廿八日二月初午日五月廿八日 氏子八戸總代三員 社掌玉鹽綱十郎同村大字同住 建物本社間口二間半奥行三間木羽葺 祈年殿間口二間奥行二間萱葺 末社一社 木鳥居一基 石燈籠二基 御厩間口一間一尺奥行一間半杉皮葺 制札一基明治三十年1897一月建設
社傳に曰く 近衛天皇の御宇白面金毛九尾の悪狐宇宙間に横行し當國當郡大槻村に飛來り槻の大木に匿籠し人民を禍すこと夥多にして止ます依て 鳥羽天皇の皇子勝善親王に勅し追撃せしむ 親王士卒を率ひて同郡玉田村に下向し彼の大樹を伐らしむるに一夜の中に其伐口埋塞して伐倒すること能はす 之に依りて親王伊勢の豊受大神に祈願しけれは其夜夢に伐たる小屑を燒却すヘしと神告あり 依て教の如く燒捨つれは遂に大樹も忽ち倒れ悪狐は何處にか飛去りぬ 勝普親王神助により其功を奏したるを以て後建久四癸丑年1193正月廿八日を以て伊勢外宮豊受大神宮を遷座し親王永く玉田の里に止り遂に薨す 因て親王の靈を合祀し是れより勝善神社と尊稱し衆庶崇敬の社なり 後明治元戊辰年勝善神社の舊號を改めて生駒神社と號す
神職は往古より齋藤家にて代々連綿として奉仕す 社域五百五十八坪高燥の地に鎭し境内には古松老杉縦の樹色と若木の葉光と相映し頗る深邃にして神寂ひて雅致あり
編者案するに御厩は勝善親王愛する所の名馬を祀りし處ならんか 世人今尚牛馬の守護を祈るは祭神に由縁もあるへけれと又此馬靈の靈験著しきを哉
昼なお暗く 千木つきの立派な本殿
拝殿額
拝殿額
拝殿内
拝殿内
由緒書 嘉永四年1851石燈籠
石燈籠台座 生駒神社碑 手水舎
左:明治42年生駒神社 右:昭和7年鳥居改築記念碑
神楽殿 昭和三十三年1958額
大山祇神社 大山祇命 右:馬頭観世音
媼神?
道路から見える入口 日本三勝善の一 昭和七年1932社号標
津島神社 津島神社本殿 寛政四年1792十九夜
金精さま ここを上る
大白

太白神社

[たいはく神社]

栃木県矢板市・石関351-1

主祭神:経津主命 配神:大山祇神・愛宕大神 境内社:湯殿神社・愛宕神社・八坂神社
創立年等不詳。元文二年1737以前の創建。なかなか立派な社殿で拝殿と千木つき本殿の屋根はシルバーに輝いている。欄干の朱色も鮮やか。842坪の境内は整備も行き届いている。
社号の文字は「太白」で,越畑の方は「大白」を使用しているが祭神は同じで経津主命。『下野神社沿革誌』ではいずれも「大白」で記録。
昭和六年1931石鳥居。本殿左手に多数の石塔と祠。左端が木製祠でとなりが石宮。台座に三猿の明和元庚申年1764六手金剛,文化十五戊寅歳1818庚申塔,嘉永三庚戌1850二十三夜塔,文化十五戊寅歳1818湯殿山。旧鳥居柱が保存され,その右に文政十二己丑年1829牛頭天王と刻まれた石燈籠二基と八坂神社。
本殿右手に推定愛宕神社,これは古そうだ。
鳥居脇に寛政十二庚申年1800馬頭観世音,明治三十二年1899熊野山。
境内のすぐ裏手に新幹線が走っている。新幹線を挟んだ北西に地蔵堂。
例祭:9月19日前の日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 星宮大明神 石関 能満寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-11丁
片岡村大字石關鎭座 村社 大白神社 祭 經津主命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口三尺奥行四尺 雨覆間口二間奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 鳥居一基 氏子二十七戸總代三員 社掌同上
本社創立遼遠にして詳かならすと雖も元文二年1737の再建にして喜連川家代々崇敬の社にして明治五年1872村社に列せらる 社域九百坪平坦なる地にして風光頗る深邃なり
  左:寛政十二年1800
石関公民館 右奥に神庫
拝殿左手
拝殿右手 石塔多数
明和元庚申年1764 旧鳥居柱
愛宕? 千木つき本殿
付近の地蔵堂
御本尊 新幹線
加茂

加茂神社

[かも神社]

栃木県矢板市・片岡1704

主祭神:別雷神 配神:豊受姫命・大山祇命・木花咲耶姫命・武甕槌命・倉稲魂命・迦具土命
延喜十二年912鎭守府将軍藤原利仁が高座山の賊徒退治に際し加茂大神の夢告により討伐なった報賽として創建。
明治三十八年1905湯殿神社,浅間神社,磯辺神社,愛宕神社を合祀,明治四十三年1910稲荷神社を合祀。拜殿明治三十八年1905「神社合祀」額には大神神号で掲載さらに加茂大神が加えられている。
拜殿内額に「別雷神社」
例祭:4月13日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-9丁
片岡村大字岡鎭座 村社 加茂神社 祭神 別雷命 祭日陰暦三月十三日 建物本社間口一間奥行一間 拜殿間口五間奥行三間 木鳥居一基 氏子百三十三戸 社掌伊東健吹同村大字同八十七番地住
本社剏宮は延喜十二年912の夏にて鎭守府將軍藤原利仁公の勸請なり云云
社傳に曰く延喜十二年912下野國高座山の賊魁藏宗藏安黨を結ひ郡邑を掠め貢物を奪ふ 朝廷利仁に命して賊を討たしむ 鎭守府將軍勅を奉して東國に下向し鹽谷郡に到る時に賊防禦の術嚴しく討つ能はす 又岡の城主岡民部も賊に降り先鉾として進み勇を奮ふて防き戰ふ 故に賊黨の勢へ騎虎の如く益々猖獗なり 將軍思ふに我か計謀にては數月を經れとも治定せさるへしと 此時神助を仰かさるに如くはなしと假に神檀を設け山城國加茂大神を招奉り祈願せしに時方に盛夏の或夜半俄に天曇り大雪となり拂暁に到りて止む 將軍士卒に命して軍備を整ひ造り設けありし橇に乗らしめ進め進みて賊を攻む 賊凍餒して戰ふ能はす遂に降り或は討死して亡ひける 將軍諸將を本陳に集め戰勝を祝し諸將を慰勞す 又將軍曰く此の強賊を亡せしは全く加茂大神の擁護なりと諸將士卒に語る やかて懐中より錦囊を採出し加茂大神の御守を神體として祠を建て祀りしか濫觴なり 斯る功績ありし大神故郷民らか益々尊信して一村の鎭守神となす 后正保元年1644に至り前岡後岡のニヶ村と分れ此より一村鐵守の名稱をも癈れたるに王政維新に又前后岡合併して岡村となれり 明治五年岡村の村社に定めらる云云 社域四百十七坪丘陵に鎭して東には内川の淸流淙々として鳴り以て晝夜を止めす 北は高原山に望み西は黑髪の高峯層々翠を重ぬ 境内には老杉古樹蓊蔚にして風光頗る佳なり
八幡

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県矢板市・片岡2095-77

主祭神:譽田別命・素盞嗚命
創建年月不詳。明治初期に八幡神神社と津島神社を合祀して八幡宮と称した。拝殿内に昭和四十九年1974五月十九日に書かれた八幡宮新築遷座額が掛けられている。明治初年に八幡神社と津嶋神社を合祀し大正九年1920十一年に改築,昭和四十八年1973九月現在地に遷宮し新社殿を造営したことが書かれている。
拝殿右手に境内社の稲荷神社。
昭和六十三年1988建立の朱鳥居右手に八幡宮遷座記念碑。
鳥居左手に明治四十年1907甲子塔。
昭和九年1934石燈籠。
例祭:9月19日
 
拝殿内 新築遷座記念額
千木つき 稲荷神社
八幡宮遷座記念碑 明治四十年1907甲子塔
明治四十年1907
琴平

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県矢板市・片岡2071

主祭神:大物主命
詳しいことは分からない。通岡公民館が社殿を兼ねていて,後ろに本殿が祀られている。かつては樹木に覆われた森だったが,伐採されて明るい丘になっている。左手に前方後円墳のような盛土が。
頭切れ 公民館左手 公民館右手
公民館 本殿 森の跡
石祠 石燈籠だった? 左手
盛土?

鹿島大神宮

[かしまだいじんぐう]

栃木県矢板市・片岡634

主祭神:武甕槌命
内川右岸の水田の森に鎭座。石鳥居の額に「鹿島大神宮」。詳しいことは分からない。

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県矢板市・片岡855

主祭神:大山咋命
詳しいことは分からない。

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県矢板市・安沢1794 あんざわ

主祭神:大己貴命・少彦名命 配神:菅原道真公・少彦名命
藤原資家すなわち須藤権守貞信が創建。天治1124~26頃には湯泉神社が南西2キロの川西に鎭座したが,明治四十三年1910現在地天満神社境内に遷宮し八坂神社と津島神社を合併して社号を湯泉神社とした。
例祭:9月29日前後の日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-10丁
片岡村大字安沢鎭座 村社 湯泉神社 祭神 大己貴命 少彥名命 建物本社間口一間奥行二間石葺 華表一基 氏子百十四戸總代三員 社掌松井一同所住
社傳に曰く本村は徃古那須郡に屬せしか藤原貞信始めて那須の地頭職に補せられし時郡界を正ふし那須温泉神社を勸請し後世郡界の狐疑なからん事を示すと云云 故に本社は須藤權守貞信の創建にして最も古社たり 社域九十四坪を有し字川西に在り

川向温泉神社

[かわむこうゆぜん神社]

栃木県矢板市・安沢848 あんざわ

主祭神:大己貴命・少彦名命 配神:菅原道真公・少彦名命
熊野

熊野神社

[くまの神社]

栃木県矢板市・乙畑1077 おつはた

主祭神:伊邪那美命 配神:別雷神・木花咲耶姫神・倉稲魂命
弘仁十四年823創建。縁起は下記の『下野神社沿革誌』を。
明治四十二年1909加茂神社,羽黒神社,浅間神社,田神社を合祀。
4号線の東側,荒川を挟んだ「さくら市」との境界に鎭座。矢板市最南端の神社は少し西の大槻日枝神社。つぎが石上神社で当社は三番目。鳥居の南に広大な田園が広がる。
立派な構えの神社で,太鼓橋を備え,社殿背後に巨大杉が聳えている。熊野三山,出羽三山参詣記念碑が多数。
拜殿左手廊下に墨書された板を発見。貴重な文字が書かれているので紹介すると:
野州下野國村社熊野神社‏/創建は弘仁十四年十日▢▢西暦八百二十三年一月▢▢平安時代の前期‏/拜殿ハ延元二年四月吉日 西暦千三百三十七(←六)年‏/本殿ハ平安時代の前期嵯峨天皇
拜殿ハ南▢▢代後醍醐天皇
昭和三十二年1957十月七日熊野神社を石造りに建立す‏/昭和三十三年1958神社の社務所を新築す‏/建造西▢鈴木孝影‏/昭和四十八年1973九月十二日キティ台風により御神木の枯枝が本殿の裏側に落下す‏/板金大工塗装工事計十一日▢納す
続きがあるのかもしれない,見落としたか。
創建年は『栃木県神社誌』昭和39年版では「弘仁十五年824三月十五日」,平成18年版では「弘仁十三年822三月十五日」となっていて,板書では間をとって「弘仁十四年823」としている。いずれにしろ創建1200年を超える古社である。延元(南朝)二年1337拜殿再建,応永十九年1412九月九日本殿再建。
昭和三十三年1958に本殿上屋,拜殿を改築し社務所を新築している。
大正十五年1926「村社熊野神社」社号標。
鳥居右手に「昭和三十二年1957鳥居奉納」
「水神宮」,平成十一年1999「奉納賽銭箱」,昭和六十年1985十二月「奉納神饌燈明台」
昭和四十一年1966「奉納神旗舎」
昭和五十一年1976「奉納神鈴」
昭和六十三年1988「奉納五色旗一対」
昭和三十一年1956「熊野本宮参拝記念樹」
大正十四年1925石燈籠。
昭和十二丁丑年1937狛犬。
2025年5月21日撮影・近所の方が参拝にいらしていていろいろおうかがいできた。感謝。昔の人は「おっぱた」と発音していたが市町村合併の際に「おつはた」になった。未確認だが高根沢の安住神社と関係があるという。
例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 熊野大権現 西岡乙畑 大林寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-10丁
片岡村大字乙畑鎭座 村社 熊野神社 祭神伊弉諾命・伊弉冊命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口六尺奥行五尺 雨覆間口二間奥行二間 拜殿間口三間奥行二間半 木鳥居一基 氏子五十戸 社掌建惟正喜連川町百四十番地住 本社創建は弘仁年中にして拜殿の再建は延元二年1337なり 后應永十九年1412九月九日を以て本社再建す云云
社傳に曰く本村は荒川の沿岸にあり 川中に釜ヶ淵と稱する所ありて毎夜白氣立登り恰も白幡の如くにして鳴り響き村民怪み恐れ熊野大神を信仰し神託を請へしに告て曰く年經し大蛇此淵に斃れて悪氣怪をなすと 荒川の上流下流の一見せる所此氣を祭りなは其怪止むべしと詑宜あり 故に本村内坊山と云ふ高燥の地に祠を立て龍神と祀り/今無格社毎年十一月十五日例祭なり/しに怪異忽ち止む 村民の平安五穀も成熟せり此れ偏に熊野大神の御靈験なることを感し村民等代參を以て紀州熊野本宮へ詣てヽ御神幣を乞へ奉遷し一村の鎭守神と崇敬せしか濫觴なり 后喜連川領主も代々崇敬せりと云云 社域六百九十坪淸洒の境地にして社殿宏壯なり 又境内より淸泉漫々として湧出し如何なる旱魃にも絶ゆることなし
拜殿右手
拜殿左手
本殿左手 本殿右手
なぞ 貴重な文字発見
太鼓橋 少量だが水が
昭和十二丁丑年1937狛犬
大正十四年1925石燈籠
手水石 社号標 奉納五色旗一対
鳥居奉納 奉納賽銭箱
奉納神旗舎 旗竿収納庫 奉納神鈴
熊野本宮参拝記念樹 御神木 近づくとすごい迫力
細身に見えるが実はすごい 他の杉の十数倍
矢取

矢取稲荷神社

[やとりいなり神社]

栃木県矢板市・矢板市・乙畑1632

主祭神:倉稲魂命
寛文十二年1672創建。矢取り稲荷と呼ばれる。東北本線の線路脇に鎭座。鳥居のすぐわきが線路なので鳥居正面からの撮影はできない。87坪。
昭和四十七年1972五月七日「矢取稲荷神社新築記念碑」,同年石燈籠。同年社号標。
碑文には「寛文十一年1671十月八日乙畑村の守護神として創建。乙畑村は喜連川佐馬守の領地。天保十三年1842神祇伯王殿より正一位号を賜る。雷神水神を合祀。年を経て社殿損壊激しく新築の議が興り白栗区内氏子一同一致してこれに当り本殿一・五坪拜殿六坪の落成を迎えました」と刻まれている。
矢取りの由来は,兄弟が争って矢を射かけあったが互いに届かず,そこに白髯の老人が現れて兄弟を諌めた。中が元どうりになって互いの矢が集まったところに祠を建てたことによる。
例祭:10月19日前後の日曜日
拜殿右手
拜殿左手
線路が見える 本殿右手の倒れかけ
賽銭箱 旧狛犬
欠けているがユニークな造形
切株多数 社殿から南方を望む
東北線 社号標

金刀比羅神社

[ことひら神社]

栃木県矢板市・乙畑1285

主祭神:大物主命 配神:大日孁貴命 境内社:龍神社
弘仁十二年821創建の古社。83坪。
熊野神社から西に向かい東北線を越えた水田地帯にあるらしいのだが,見つからない。大谷石の壁に瓦葺の覆屋。
明治四十二年1909字中河原街道上に鎭座した大日孁貴命を合祀。
龍神社には荒川釜ヶ淵の龍蛇を祀る。
例祭:6月10日
石上

石上神社

[いそのかみ神社]

栃木県矢板市・大槻1706

主祭神:布都御魂大神・貴布禰大神 配神:武甕槌命・大山祇命・木花咲耶姫命・大山咋命・少彦名命・玉依姫命・菅原道真公 境内社:金毘羅神社・稲荷神社
永延元年987地頭勝善が大和国山辺丹波の石上神宮より勧請。地頭「勝善」の名のとおり九尾の狐退治伝説が伝わる。『下野神社沿革誌』では一條權守勝善としている。矢板玉田の勝善神社では近衛天皇第三皇子勝善親王とされる。
玉田では近衛天皇の頃1142-55,当社は一条天皇986-1011の頃の妖狐退治で150年ほどの差がある。那須芦野の方では鳥羽院没後領主須藤権守貞信が退治したことになっている。須藤權守貞信が八溝山の兇賊岩武丸を退治したのは天治年中1124~26なので玉田の説の年代に近い。下記の『下野神社沿革誌』は久寿年中1154~56としている。当社は一条でなく二条天皇1158-65の頃だと,まあ辻褄が合う。
しかしながら当社が保管する一條家家系図には花山院の御代の金毛白面九尾退治が記録されているので一条天皇の御代になる。1000年頃に当地で退治したはずが逃げ延びて150年後に玉田に再来したのだろうか,空想の九尾でもあるので今となっては混濁していて当然。玉藻の前九尾狐の話はさらに下って鎌倉末から江戸初期にできた物語。
東南400mに妖狐退治のとき兵士に食べさせるために使った竃石が残っている。右隣りは大善寺。
拝殿内に大きな社号額が掲げられ,背後の板に由緒が墨書されているが,暗くて読めない。格子が小さくガラスも嵌められていて撮影もうまくいかなかった。写真は無理やり補正したもの。
昭和五十四年1979社号標。後ろの合掌像は享保十九歳1734。明治九丙子年1876熊野神社。
鳥居左手に天保十四癸卯歳1843大黒天,左端は読めず。
大正九年1920日枝神社を合祀。
例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 石上大明神 大槻 一条市正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-11丁
片岡村大字大槻鎭座 村社 石上神社 祭神布留御魂命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口八尺奥行一丈一尺 雨覆間口三間奥行三間 拜殿間口三間奥行二間半 木鳥居一基 氏子五十戸總代三員 社掌建惟正喜連川町百四十番地住
本社創建は永延年中987~989にして一村の鎭守神と尊敬す 后再建年月詳ならす明治五年村社に列せらる 神職は往古より維新の初まて一條家にて奉祀せり云云 社傳曰く久壽年中1154~56那須野の狐狩の時一條權守勝善か嘗地に對陳し本社に祈願して擁護を受けしと云ふ 今尚本社の巽方三町計隔りたる畑中に釜石と/円みっつ圖之如し/稱するものありて則ち一條權守か卒たる人數の食物を炊事せし所にして偶々此れを取り破らんとすれは其人に障災ありとて土人猥に手を觸ることなしと 又一條氏は勝善の末裔なりとか云 社域三百九十九坪高燥の地にして石磴五十階を躋り眺望絶佳なり
  拝殿内
御神木 樹齢350年以上
拝殿右手
拝殿左手
 
大正乙丑十四年1925 鳥居右手 鳥居左手
日枝

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県矢板市・大槻999

両部鳥居のある社,詳細不詳。石上神社の南西。
大正九年1920に上記石上神社に合祀された日枝神社と推定。彫刻の施された立派な本殿。
鳥居手前に男體山と湯殿山・月山・羽黒山大権現。
  現在も祀られている
立派な本殿
本殿右手 左手
石段手前に御堂 左の山に鎮座
大白

大白神社

[たいはく神社]

栃木県矢板市・越畑97

主祭神:経津主命 配神:高龗命[たかおかみのみこと]天忍穂耳命・別雷神・大山祇命・木花咲耶姫神
もと星宮,日枝を合祀
旧地名:矢板市越畑町字堀ノ内97
東北本線片岡駅の1.5キロ東。「矢板市つつじの庭園20選」の看板の掛かったお宅の脇を入る。
参道左右に水田。
「天保二卯年九月吉日」の石燈籠。
文明二年1470に内川川岸に石祠を建立し,田中明神と称した。現在地に移転して星宮神社と称し,日枝神社(山王権現)を合祀。明治32年に大白神社と改称。
明治42年6月に5社を合祀した。湯殿山神社,龍神社,森神社,加茂神社,山神神社,浅間神社
『栃木県神社誌』旧版には,このうち片岡村大字越畑にあった湯殿山神社の祭神が「高龗命」とある。
「天保十三年1842 湯殿山」の石塔が二の鳥居左手に保存されている。
その隣りの石祠は「明治三十八年三月十三日」
鳥居右手に平成十六甲申十月吉祥日の大きめの石祠が1社。
本殿裏に1社。左手に2社。計5社残っている。
『栃木県神社誌』新版で合祀社に「龍神社」が加わっている。
本殿:流造瓦葺 幣殿・拝殿:瓦葺
例祭:9月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 山王権現 越畑名主 勘右衛門
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-11丁
片岡村大字越畑鎭座 村社 大白神社 祭神 經津主命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口三尺奥行六尺 雨覆間口一間奥行一間半 拜殿間口二間半奥行二間 鳥居一甚 氏子七戸總代二員 社掌建惟正喜連川町百四十番地住
本社創建年月詳ならすと雖も文明二年の再建にして鹽谷伯耆守源惟延及ひ領主喜連川家代々崇敬の社なり 社域九百三坪平坦の地に鎭す
鳥居左右に田
きちんと祀られている
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県矢板市・山苗代292

主祭神:経津主命・磐裂命・根裂命
創建年等不詳。144坪。
例祭:11月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 星宮大明神 山苗代 館ノ川村正
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七-12丁
片岡村大字山苗代鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 建物本社間口一間奥行同 氏子十戸
本社創立不詳 社域百四十四坪字下山の高燥の地に在り

 

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