闇龗神社

市貝町・続谷1054
[くらお神社]
主祭神:[闇龗神 高龗神

旧地名:芳賀郡市貝村続谷1054 [つづきや]
主祭神:闇龗大神,高龗大神
栃木県内唯一の「闇龗神社」である。
闇龗の読み方は書紀では[くらおかみ],神社名鑑の読み方も[くらおかみ]だが,ここでは[くらお神社]と呼んでいる。最近できた駐車場看板のルビは[くらお]。
とてもバランスの良い神社。
入口左手に口3つ付きで「村社闇龗神社」とある大正十五年の社柱。石の階段を4回上がる。
2つ目の鳥居は欄干つきというのか木製の洒落たデザインで額もにくい色使いの両部鳥居。正式文字。
拝殿の額は漆塗りのような板に金で正式文字。
さすがに由緒正しい神社だけあって「尾」「雨龍」「雨+罒+龍」などの文字は見つからない。とても気持ちがいい。
さらに隣りの黒田にある高龗神社の関係者といっしょに伊勢神宮に参った「御木曳奉仕参拝記念」の石碑がある。「第六十二回神宮式年遷宮・平成十八年五月」の背面には「市貝町続谷闇龗神社」と「茂木町黒田高龗神社」が連名で彫られている。これも口3つ付き。
高龗,闇龗,闇罔象,闇山祇の神は日本書紀で兄弟になる。
現代までその関係が続いていることに素直に驚く。
「明治三十四年十一月廿」と細い文字が残っている甲子塔。「明治四十二年」の勝善神塔。「大正十五年」の狛犬。
栃木県方式では[くらお]になってしまうが、1社しかない貴重名神社なので日本書紀の読み方か残っていて欲しいところだ。
寿永二年1183創立。明治29年に大字続谷内の高龗神社,琴平神社,浅間神社,稲荷神社を合祀している。
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本殿:流造長板葺 幣殿:切妻造銅版葺 拝殿:流造亜鉛板葺
例祭:10月最終土曜・日曜日
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宝暦年間1751-64成立の『鹿沼聞書・下野神名帳』に「芳賀郡・高於加美宮黒於加美宮・続谷・小森主税」と書かれている。「黒於加美」はもちろん「闇龗」のこと。高龗と闇龗を重ねて社号としていたようだ。
神仏分離の嵐をくぐりぬけ,150年後の明治三十六年1903『下野神社沿革誌』には「高龗神社」として掲載されている。神名帳の社号の半分を採録してたか,あるいはまた明治二十九年1896に合祀された高龗神社をさしているか。『下野神社沿革誌』取材中はまだ合祀前の可能性も残っている。「堀の内」は続谷城の堀の内だが,現在の城趾から闇龗神社は目視できる範囲にある。
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻35丁 芳賀郡小貝村大字續谷字堀の内鎭座
村社 高龗神社 祭神 高龗神 祭日 建物 本社間口一間半奥行二間 華表一基 氏子二百五十戸総代 員 社掌小森芳春仝所住
本社創立遼遠にして詳かならすと雖も往古より一村の鎭守にして社域二百八十一坪を有し古杉老樹亭々として神威と共に高く聳ひ幽雅にして高潔なり














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