木幡神社

矢板市・木幡1194
[きばた神社] 境内社[高龗神社

宇都宮市からは242号線で東北道をくぐり,左手に川崎城趾,ともなり信生庵を見て直進,内川を越え,東北本線の踏み切りを渡ると前方に南北に横たわる杉の山が見える。この南端に鎮座。
途中に冠木門形式の鳥居が見えるが,これは裏の入口。一の鳥居は駐車場のさらに南。 一の鳥居も裏門の鳥居と同じ笠木のない冠木門形式。柱のてっぺんに屋根が付いている。
脇に生駒神社,馬頭尊石塔。
一の鳥居の右手に下社。神仏混交の時代に楼門を守護していた仁王像2体がこちらに遷されている。
二の鳥居は木製朱塗り,「塩谷惣社大明神」の扁額。
鳥居左手に「男體山(天保十三年1842)」「熊野三神(文化五辰1808)」「廿三夜供養」「湯殿山」他の石塔,六手青面金剛?1基。
延暦十四795年創建の古社。石段手前左手に由来書看板があるので詳しくは写真を。
石段を上ると室町中期の楼門。屋根は後年銅板葺に改装されている。本殿も室町中期。
拝殿額に「正一位木幡社,日光山大明神」,これは神庫に保管されている花山院筆の神号奉額を模したもので額縁も似ている。神社でなく木幡社となっている点も同じ。書体は別様。「矢板市の文化財」No.44で確認できる。
ついでにNo.27は神像3躯,宝暦十四年1764の大国主尊,元久二年甲九月1205の田心姫(ただし甲が合わないので元久かは不明),味耜高彦根命。 No.29日光山との縁で境内に保存されている元和二年1616の鉄灯籠。No.30は陶製狛犬。No31蝉錠。No.51太々神楽。No.45拝殿左側に架けられている「安政戊午歳九月」1858の和算扁額。No.70社叢。
和算額の左に「伊勢太々神楽圖」。拝殿正面に「安政七年申二月」1860の板絵。拝殿回廊突き当たりの対の板絵。他三枚の板絵はすでに絵柄は見えない。
右手の昭和14年の狛犬は子持ち,左は毬持ち。
本殿裏手に「無盡水」
--------- ここには合祀社がなんと23社あると記録されているが,石祠の類はひとつもなく,稲荷社と不明の社の計2社が本殿裏手にあるのみ。高龗神社は残念ながら特定できず。

一の鳥居


下社

下社内の仁王像


二の鳥居



楼門






和算額

鉄灯籠





子持ち

稲荷神社


左端金網が無盡水

銅板葺の境内社


西側の鳥居

冠木門




広大な社叢



[検索]で訪問された方へ:このページはTopページから表示されるリンク先ページで不完全です。正常な表示は次から>>入り口