高龗神社

鹿沼市・茂呂1984 2006焼失
[たかお神社] 使用文字[

旧地名:鹿沼市上茂呂1984
主祭神:高龗神,大山祇命,天照皇大神,素戔嗚命,伊弉諾神,伊弉冊(冉)神
配神:大綿津見神,奥津彦神,奥津姫神,菅原道真公

なかなか見つからず、茂呂山の畑でおじiさんにたずねると、「あることはあるんだが・・・すぐそこだ・・・去年焼けてしまって、神楽殿しか残ってないぞ」えっ!!!
2006年10月18日全焼してしまった!!!なんということだ。午後1時40分頃というから、たばこか,付け火か? もったいないことだ。鹿沼名木保存指定の杉も10本ほど焼けてしまった。
鹿沼花木センター手前を左折。入り口の鳥居建立の石碑にはくっきりと高龗神社。正式文字が刻んである。石製神明鳥居。ここから山を登る感じで石段を上ると無残な焼け跡が広がる。
本堂脇の杉の大木は表面が炭化しているが生き延びているように見える。
白雲山の文字が見える享和2年1802、文化5年1808などの石灯籠。数組の狛犬が残る。
焼け跡で見つけた炭化した木札には「龗」口3つ付きの見事な文字が残っていた。
分かっていることを記述しておく:
大正六年3月31日に前田の高龗神社,境内社菅原神社を合祀している。
前年の大正五年2月23日に愛宕山の御嶽神社,上野原の二荒山神社,前田の八坂神社,境内社大杉神社,中堀の光峯神社を合祀。
境内社:磯部神社(国常立神),雷電神社(大雷神)
本殿は流造檜皮葺,幣殿・拝殿は亜鉛葺であった。亜鉛葺の御輿舎があった。
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高尾大明神,白桑田,上茂呂村民
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)3巻35丁 上都賀郡北犬飼村大字茂呂鎭座
村社 高龗神社
祭神 高龗神 祭日十一月十五日 建物本社間口三尺奥行同小羽葺 拝殿間口二間奥行同 氏子百戸・総代四員 社掌宇賀神茂吉同村同大字住
本社創立年月不詳社域五百七十坪を有し幽邃にして雅致あり

くっきりと口三つの正字

社柱も変形口三つ



ああ,なんということだ

正字の龗がくっきりと














ご神木は生き返るに違いない




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