高龗神社

宇都宮市・田下町380
[たかお神社] 使用文字[なし
主祭神:[高龗神

新里街道から多気山方面へ。長林寺を右手に見て岩原町交差点を直進。姿川を渡って右手の山に鳥居が見える。 ゼンリンの地図では「板倉雷電神社」, MapFanとgoo地図では「古峯神社」になっている。

田下町公民館前のお宅と,神社前のお宅の方に確認すると,ここは高龗神社。難しい龍の字とおっしゃっておられたのと,神社庁に登録してあるとのことでまちがいなく高龗神社。『角川地名大辞典』田下の項には口三つ付きの高龗神社と出ている。
「こうれい」神社と呼ぶ人もいるという貴重なお話をお聞きすることができた。まさに「おかみ」字である。また,日常的には「高おの鎮守さま」と呼んでいるとのこと。

社殿の後ろに朱色の「古峰神社」と白色の「板倉雷電神社」が並んでいる。他に社名を示す文字が残されていないので,「板倉雷電神社」が地図に採用されたわけである。ちなみに「板倉」は「群馬県邑楽郡板倉町」をさす。
『栃木県神社史』には「高龗神社」として写真入りで掲載されているが,現在の社殿は荒れ果てていて,写真の面影はない。神社を維持していくのはたいへんなのだろう。

社殿から鳥居越しに多気山が見える。多気山にあるのは真言宗持宝院多氣不動尊。*聞書に記録されている。

平成3年に道路拡張で南の山裾を削ったため,鳥居は少し上(北に)に移動したらしい。 田下町の東隣りは大谷なので,右が「奉」左が「納」の字の旗杭らしきものも,一の鳥居も大谷石製明神造。したがって大正の鳥居柱文字はすでにくずれかかっている。読み取れる文字は:
「大正十四年九月十九日之建」「創立五?運?電?記念田下青年團」 これに新たに「道路拡幅の爲此所に移転 平成三年二月」が彫り加えられている。 二の鳥居には文字なし。
「嘉永二年酉1849十二月吉日」の石燈籠3基。
ここから500メートル北に新里町甲の高龗神社。
本殿:流造トタン葺 拝殿:トタン葺
例祭:10月第1か第2日曜日 *聞書によれば江戸期には[タカオカミ神]と称した。神仏分離で高龗神社に改称したことになる。
*
『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡,高於加美神,多気,持宝院
**
『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻36丁
河内郡城山村大字田下鎭座
村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺奥行五尺 拝殿間口三間半奥行二間 末社一社 氏子二十八戸・総代員 社掌栗原千族
本社創立年月詳ならす 社域六百三十二坪高燥の地に在り

大谷石の鳥居

二の鳥居

板がはがれている

左古峰山,右雷電神社

嘉永二年と読める

背後から

文字のない境内社

鳥居の向こうに多気山
高圧線鉄塔の右側に鎮座



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