高龗神社

上三川町・西汗722
[たかお神社] 使用文字[] 
主祭神:[高龗神

旧地名:河内郡上三川町西汗722 汗は[ふざかし]
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
配神:大雷神,日本武尊
環状線121から砂田街道320。左に宇都宮市総合運動公園を見て1km、赤堀交差点を左折。600m道路沿い左側。「汗」一字で「ふざかし」と読む。
明治四十一年九月の石柱「村社高龗神社」正式(写真左)。ハシゴ高。ひとつめの鳥居をくぐって遠くにふたつめの鳥居。文政5年1822九月のこの鳥居の額は「正一位○○大明神」真ん中が欠けてしまって読めないが,神仏分離で大明神から高龗神社に社号変更して登録したことが分かる。
*鹿沼聞書では「タカオカミ大明神」と呼んでいたことが記録されている。
境内の平成六年の灯籠、御大典記念事業概要石碑(写真中右)ともに、くっきりと口3つ付きの龗字。拝殿の額が「雨+罒+龍」ハシゴ高。ここまで揃うとやはり気持ちがいい。
享保十x(1726-1736)の胎児形の子どもがふたり向かいあっているおもしろい石碑がある。その上に文字があったと思うがまったく見えない。左脇に「xxxxxx行七十x」
やさしげな石仏に「享保三年1718磯新田村x祈・奉唱x十五夜念佛」の文字。そろそろ300年。
「三十三夜供養」表面が欠けている石像、年代が読めない南無阿弥陀佛石碑などが整然と保存されている。
社柱以外は龍の最後の三画、右から左に書く部分が「テ」あるいは「〒」形になっている。平成の文字もそれにならっている。平成の高は口。
持統天皇のころ690年代に丈部郷の氏神ならびに五穀豊饒の神として丹生川上神社より勧請。東汗とともに県内五指に入る古社。
境内社に羽黒神社(倉稲魂命),八坂神社(建速素戔嗚命),境外社に愛宕神社(猿田彦大神)
本殿:流造木羽葺 幣殿:銅葺 拝殿:入母屋造銅葺
例祭:11月16日
*
『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,高於加美大明神,西汗,円重院
**
『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻5丁
河内郡本鄕村大字西汗字室神鎭座
村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺二寸奥行四尺二寸 拝殿間口二間奥行二間 幣殿杉皮葺 華表一基 末社四社 氏子五十戸・総代員 社掌野澤實教同村同大字住
本社創立年月詳ならす 社域五百九十九坪あり往時は野澤家別當職にて明治維新の際復飾し神職となり奉仕す 境内には老杉古檜空に聳ひ風致愛すへし

拝殿額 口変形の正字
社柱も正字


一の鳥居

二の鳥居

二の鳥居 正一位xx大明神


きちんと整備されている

石燈籠の台座の文字



こちらも正字

もはや読めない

上の石塔の下部



八坂神社か?


整然と並ぶ石祠

白壁が美しい



[検索]で訪問された方へ:このページはTopページから表示されるリンク先ページで不完全です。正常な表示は次から>>入り口