高尾神社

芳賀町・給部315 きゅうぶ
[たかお神社] 使用文字[
主祭神:[高龗神
宇都宮向田線。
芳賀町教育委員会の立て看板には
「祭神は、高龗神(タカオカミノ神)で、闇龗神(クラオカミノ神)と共に龍神であって、雨を司る農業守護の神・・・給部は往時、隣村高根沢柏崎と一村であったが、後世になって分離されたもので下野神明帳には高尾大明神(柏崎、別当宝蔵院)と載っています。建久年間1190-199柏崎村の鎮守として山城国貴布禰神社の遷しなる高尾神社を勧請したので、今に給部の産土神として崇敬されている。本殿は・・・数百年以前の作」
(*下野神明帳が鹿沼聞書のことであるなら,小生が調べた限り,給部あるいは柏崎高尾神社は掲載されていない。「箒根神社・塩屋郡柏崎・宝蔵院」はあるのだが。直前掲載の高尾神社は不明の地名原窪・法林寺。神名帳に別の版が存在するのだろうか)
祭神名のルビは教育委員会。おかみ字は「雨+罒+龍」。なぜ神社名は「尾」になったのだろうか。
本殿は宇都宮清厳寺にあった稲荷神社の明暦時代の社殿を,天明七年1787に移築したものである
「遷しなる」を補足すると,貴船から勧請されたのは高尾神社ではなく「高五陵神社」で,大字柏崎に接する県道側の丘の上にあったが,その西宮と称して大黒天を祀っていたのがこの神社で,のちに名前を変えて高尾神社になったのである。

入り口の鳥居から両側を杉に囲まれた参道を登る。東の畑地帯とその先の高根沢の山を上から眺めることになる。
拝殿の額は文久元年1861「給部鎮守・高尾大明神」維新の神仏分離で高尾神社で登録したが,神道指令で国家統制から自由になって文久の額を復活させたのだろう。
手水石の昭和十三年以外の文字は見つからない。
境内社に大物主神の琴平神社,倉稲魂神の稲荷神社
本殿:神明造銅葺 幣殿:亜鉛葺 拝殿:神明造亜鉛葺
例祭:11月3日

『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻39丁
芳賀郡南高根澤村大字給部字西の入鎭座
村社 高尾神社
祭神 高龗神 建物本社間口二尺四方 拝殿間口九尺奥行二間 瑞垣延長四間 華表一基 氏子戸・総代員 社掌
本社創立不詳社域五百十坪を有し字西の入の淸洒の地に在り

鳥居脇の由緒書

正しいルビ


文久元年1861 高尾




高尾







後方の山に中柏崎の高尾神社

思ったより登る

まだ上る



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