高龗神社

宇都宮市芦沼町970
[たかお神社] 使用文字[龗靇]混在
主祭神:[高龗神


旧地名:河内郡上河内町大字芦沼970/河内郡上河内村芦沼字林添
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ],軻遇突智命
上阿久津から鬼怒川の反対側を少し北上すると田んぼの中に,見事な三本の杉がそびえ立つ森が見つかる。
きちんと手入れされた立派な神社である。通称東芦沼神社。
拝殿扉も開いている。実は祭りでもないのに扉の開いていた高龗神社はここが初めてである。そのうえ本殿には野菜がお供えしてあった。宮司さんと近隣の方のお心とご苦労がしのばれる,気持ちのいいところ。森を透かして日光連山がくっきり。
社柱は「高雨+龍」
拝殿左手に旧拝殿が神庫として保存されている。
応仁元年1467の創立を記した御影石の由来には正式な口3つ付きで「高龗神社」と刻まれている。この内容がおもしろい。「主祭神・軻遇突智命(火の神なり)」とある。さらに続けて:
「当地鎮護の神たり晴雨を司り給う旱魃等ありし際は氏子等社頭に参集し雨乞祈願をなす。風あり河辺に神輿を迎え奉り雨乞祈願をなす時は慈雨忽ちにして来ると雖も水害を伴うところあるため古来より行う事稀である」
この当地鎮護の神の霊験の示すところ,高龗の神にほかならない。火の神というのは謎である。
拝殿額・奉納額あわせて4枚は「雨龍」
宮司さんの奉納した石燈籠には「雨+龗+龍」
さらに拝殿前の「町指定有形文化財第九号・高龗神社本殿」の解説には「高龗神を祀り東芦沼地区の鎮護神として人々に崇敬されている。・・・なお祭神は軻遇突智命(火の神)である」とある。二神がきちんと区別されているが,理由は不明である。
なお,『栃木県神社誌』では新旧版とも主祭神は高龗神となっている。どう扱うべきか迷ったが併記することにした。
寛永七1630寛文七1667寛政七1795のいずれか,おそらく1667の境内社。
元治元年甲子1864男体山
右手に天明二年1782と読める富士浅間大神の社など8社がならぶ。計15末社。
安政三年1791辰六月石塔。
本殿:流造木羽葺 幣殿:切妻造亜鉛葺 拝殿:入母屋造銅板葺
例祭:10月19日
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
河内郡,正一位高尾神社,芦沼,福田出雲
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)5巻16丁
河内郡絹島村大字芦沼鎭座
村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口四尺五寸奥行一間 拝殿間口二間半奥行一間半 末社四社 氏子百十七戸・総代員 社掌
本社創立は應仁元年1467にして社域三百六十坪を有す






















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