高雄神社

茂木町・小山535 おやま
[たかお神社] 使用文字[
主祭神:[闇龗神

旧地名:芳賀郡茂木町小山535
主祭神:軻遇突智命,闇龗加美神[くらおかみのかみ]
[くらおかみノ神]と省略の「くらお」でなく正式に「くらおかみ」の読みを音訓合わせて表そうとしている。龗は音読みで[お]の音を当てられている。しかし,そう考えるのでなく,軻遇突智が『日本書紀』の表記なので,「闇龗神」に余分に加美の字を付けてしまったと考えて良いだろう。龗の1文字を芳賀郡でも[おかみ]と読まなくなっていることが分かる。ただし神名の発音ではきちんと[おかみ]の意識が残っている。
道の駅もてぎから南に4キロ,木幡のそば。
入口に「享保拾三?1728」「寛政甲寅1794」二十三供養塔「文久三癸亥1863」聖徳太子など石塔が7つ並ぶ。
昭和7年の石鳥居の次に朱塗りの木製両部鳥居が立ち,額文字は「正一位高雄大明神」
拝殿とその内部には神社名を記したものはない。
拝殿内左右に絵馬が見える。右について解説板がある。文久元年1861矢口南山作「板絵著色屋島合戦図」h82×w124センチ。
景行天皇五十六年なんと西暦126年に下野国造御諸別王によって勧請されたというから県内最古のタカオ神社である。景行天皇時代の県内の他の神社は佐野市の「赤城神社」と小山市の「高椅神社」だけである。いずれも,ひいき目に見て奈良以前の創建ということでいいだろうか。
ちなみに県内で紀元前崇神天皇の時代を創建とするのは真岡の「大神神社」安塚の「白山神社」,下野市の「鷲宮神社」,小山市の「安房神社」4社である。
二荒山神社,野木神社,那須神社は仁徳天皇西暦393-427年頃の創立とされている。 
那須の笠石神社にある那須國造碑ですら西暦700年,『古事記』712年,『日本書紀』720なので,社名の「高雄」がいつからなのか際限なく興味がつきない。
弘長元年1261地頭河原摂津守安直が本社を再建,延宝五年1677,安政五年1858にも再建している。棟札の社名はどのような表記なのだろうか。「高雄」を解釈するにあたって最重要の神社。
本殿:春日造木板葺 幣殿:切妻造トタン葺 拝殿:入母屋造り銅板葺
例祭:11月19日
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『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻23丁
芳賀郡逆川村大字小山字宮山鎭座
村社 高雄神社
祭神 軻遇突智命・配祀闇龗加美 祭日四月廿九日九月廿九日 建物本社四尺五寸四方 拝殿間口四間奥行二間半 幣殿二間四方 末社五社 華表一基 盥漱盤一個…略…石磴文久四年1864三月 氏子五十戸・総代五員 社掌風山廣雄仝村仝大字七番地住
社傳に曰く 本社は景行天皇五十六年の創立にして下毛野國造御諸別王の勸請なり 后弘長元年1261九月地頭河原攝津守安直(裔孫今尚存す)本社再建及ひ神田を寄附す 慶安二年1649徳川将軍家光より社領五石仝郡多田羅村知内に於て寄附せられ仝将軍累代崇敬の社にて代々朱印を賜はらる 寛文十二年1672領主福原淡路守より高三石の除地を附せらる 延宝五年1677九月領主福原猪之吉の助成により本社再建す 享保十二年1727後正月領主の傳奏により正一位を授けらる 安政五年1858十一月拝殿再建 明治十年1877幣殿再築 仝三十三年1900幣殿拝殿を修繕す 是皆氏子惣代及ひ區長河原庄三郎の盡力にあり,社域一千二百四十二坪高燥の地にして後は山脈相連なり先年の老松古杉蔚然として繁茂し神寂ひて雅致あり 殊に地方の名社にして社有財產金六百圓を有せり

















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