秋田県の高お神社
kyonsight
判明しているのは1社。2009年10月11日に現地調査を行いました。使用文字「尾」
高尾神社
秋田市雄和女米木高麓沢74
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■本宮
秋田市から雄物川沿いに大仙市に向かって9号線を約25キロ,341号線に入る。右折して登坂すれば本宮,直進すれば右手に里宮。
まず本宮に挑戦する。2.5キロほど山道を登ると,高尾山県民レクリェーション地域の広場に出る。高尾山荘の前が駐車場。早朝なので車は1台もない。はるか眼下に雄物川が光って蛇行する。広場の進行方向奥に鳥居が見える。
社柱には「高尾神社奥宮」,朱塗りの両部鳥居の額は「高尾神社」
案内板には奥宮まで35分とある。距離の情報は611メートル。
鳥居をくぐって登り始める。ほどなく狛犬と石燈籠が見えてきた。半間幅の石段が「登れるか?」と聞いてくる。 「ここまで来て帰れません」と応えて登り始める。
登り口左手に石塔が二基,「自是不可登女人」「奉寄進爲二世安楽子孫繁昌」と読める。推読,天明丁未1787か。
ほんとうに静かだ。天使がまばたきをしても聞こえそうだ。最初の石段を登りきって自分の息切れと心臓の悲鳴しか聞こえない。 でも,この調子で直線的に石段が続いているわけではないらしい。
草に埋もれた手水石があったので顔を洗って一休み。冷たくておいしい水だ。
また山道を行くと,高度を稼ぐところに石段が現れる。苔むして朝の光に照り映え,とても美しい石段…なのだが,息が切れて目まいがする。運動不足が身にしみて分かる。
まだ登るのかと嘆いているうちに石段のてっぺんが白く輝く。左にカーブする奥に社殿が見えてほっとする。
対のうち一基が屋根だけになってしまった石灯籠は文字が見えない。拝殿前の石燈籠は昭和九年四月の奉納。
拝殿額は「高尾山」,宝亀元年715の創立と伝えられる奈良初期の古社。
それにしても,このような高山にこれだけの社殿をよくぞ建立したものだ。石段を積むのも大変だったろう。
苦役の果てに御利益があるという,しごく日本的な精神論が原動力になっているとしても,それを実践した稀な民がいたということだ。
また,祈雨祈晴には天に近いほど祈りが届きやすいという考えもあったのだろう。苛酷な自然に支配されざるをえない暮らしが背景にあったに違いない。 決して,宝くじにあたりますようになどとはお祈りしてはならない神社である。












本宮






■里宮
雄和女米木字猫沢 登ってきた341号線の山道を下って右折すると里宮。 奥宮(本宮)に登拝できない人のために里宮(遥拝殿)がつくられている。奥宮に登ってみると里宮のありがたさがよく分かる。現在の社殿は昭和27年の建築。
社柱,両部鳥居額とも「高尾神社」 鳥居をくぐってすぐ右に千年杉がそびえる。すぐ奥にも巨杉が左右に2本。
拝殿の額は「高尾山」 右手に鐘楼が建っている。「高尾山大神」「昭和四十七年七月八日 里宮新築二十周年記念」と刻字してある。
ちなみに尻尾の尾をつかった「高尾神社」はめずらしく,全国に39社しか分かっていない。そのうち15社は栃木県に集まっている。栃木県には「たかお神社」と呼んでいる高龗神社が80社集中し,「高尾」が混在する社もある。 くわしくは「栃木県の高龗神社」をご覧下さい。











里宮の大杉解説



この先を左に登坂すると本宮



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