青森県の闇龗神社2
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闇龗神社
つがる市・板柳町・飯田字村元29-1
[くらおかみ神社]
使用文字[龗靇罒]
祭神:闇淤加美神くらおかみのかみ
339号線で藤崎を越え飯田会館を目印に右折してすぐ。
昭和六年六月十八日建立の社柱は口なし雨龍。
その右手の古い社柱と両部鳥居の額文字は口3つ付きの「闇龗神社」,石郷の社柱と同じで,龍の左半分がが帝になっている珍しい字形。
二の鳥居は石製。
三の鳥居は朱塗りの両部鳥居。左に直角に折れて石製四の鳥居,正面が拝殿。右手に鳥居が二基。
拝殿右に「闇龗神社八千代杉」の標識があり,「くらおうじんじゃ」とルビがふってある。おかみ字は口なし。目通り周囲5.5メートルの巨木だったらしいが,残念ながら今はない。
右手に石製鳥居つきで天保三年壬辰1832の猿田彦大神,大正十三年の二十三夜塔。
昭和八年飯田村中婦人一同寄進による狛犬。軍馬神が一対。
馬のレリーフのある石塔にも木製鳥居がついている。
その奥の対の石には看板があるが文字は消えて読めない。
昭和十二年の拝殿額は金文字で「雨+罒+龍」
青森県神社庁の呼び方では「くらおかみ」神社となっているのと,祭神が「くらおかみのかみ」なので,社名は八千代杉の看板を踏襲せず「くらおかみ神社」としておく。
例祭:旧6月18日


















闇龗神社
つがる市・鶴田町・沖字岡田295
[くらおかみ神社]
使用文字[龗靇罒]
祭神:闇淤加美神くらおかみのかみ 青森県神社庁の表記は闇龗神くらおかみのかみ
339号線を北上し左手の陸奥鶴田駅から東に至る150号線を右折してすぐ。
平成21年の由緒書きには口3つ付きの正字が使われており,ルビも「くらおかみ神社」と正確に書かれていて気持ちがいい。祭神表記は『古事記』ふう。詳細は2枚目写真を。
拝殿に正面から入る鳥居は朱塗りの木製。
昭和36年12月18日建立の「闇龗神社新築記念碑」の文字は「雨+罒+龍」
社柱と真鍮様の二基の鳥居額文字も「雨+罒+龍」
左手の大正十五年石柱は口なし。
「昭和五十八年五月二十六日,日本海中部地震により石の大鳥居くずれ再建する 昭和五十九年四月十八日」と刻まれた「闇龗神社大鳥居寄付者御芳名」の銅板文字は「雨+罒+龍」。御神馬も地震で倒れたので再建した旨が刻まれている。
拝殿の奉納額は口なし靇。
境内右手奥の木製鳥居は4基の石塔につけられている。左が二十三夜塔,右3基は庚申塔。
延暦年間に坂上田村麿によって創建されたと言い伝えられている。明治六年に狐森稲荷神社に合祀される。明治八年に独立し,九年に村社となる。
例祭:8月1日


















闇龗神社
つがる市・稲垣町・穂積字桜田1
[くらおかみ神社]
使用文字[龗靇罒]
祭神:闇龗神くらおかみのかみ
岩木川の西側土手の道路43号線を進むと鳥居のある徳蔵寺が見える。ここから真北に500メートル。隣りに細沼集会所。
脚部が御影石の両部鳥居にかかる額文字は,口3つ付きの正式な闇龗神社。社柱は変形口3つ付き。 拝殿内の額も正字と変形口3つ付きの両方が使われている。
明治六年四月に繁田の稲荷社,繁田の八幡宮,穂積の八幡宮,福富村の胸肩神社を合祀している。明治七年十二月にはまた分離するが,現在の拝殿の入口頭上に額が残っている。八幡宮の文字が2つあるのはこの事情による。
口2つの珍しい字形の奉納額がアンモン貝の額の隣りに見える。雨と龍の間になにか書かねばという意識があるわけで,まったく省略されるよりいいだろう。
鳥居寄付者の名を連ねた額は残念ながら口を省略されてしまった。
板絵が4枚。
左右の弓矢を持つ真新しい像は不明。
大正十三年八月十六日の摂政宮御成婚記念碑に「石鳥居寄附人名」と彫られている。石鳥居というのは御影石脚の鳥居をさすのだろう。
大正元年の石灯籠。
境内左手に岩木山を描いた奉斎板に猿田彦大神,天鈿女命,月夜見大神の文字が見える。すぐ隣りの慶應四年の二十三夜塔,廿と九月が読める石塔,いちばん大きい石に猿田彦の文字がかろうじて読める。
全体にきちんと手入れをされて大事にされている社で,気持ちがいい。
享保三年1718六月十七日の創建。
例祭:7月17日




















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