高龗神社

[たかお神社]

真岡市・下籠谷780 しもこもりや

使用文字[罒]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ] 配神:闇龗神[くらおかみのかみ]
宇都宮大学の農学部付属農場の西。無量寿寺の脇から探したが,なかなか見つからず。
宇大の農場の境界が南北にずっと杉の生い茂った尾根のようになっていて,その一部が神社らしいと見当をつけて道を探す。
笹や枝が2m幅の道路にはみ出していて,不安になる。神明鳥居を見つけてほっとする。
「雨+罒+龍」の石柱。
拝殿の中は暗くてよく見えないが,中央の額はどうやら「雨+罒+龍」。奉納額も龍字の上に何かあるが口まで確認できず。
「寛政七乙卯年十月吉祥日・二十三夜供養塔」1795
入り口に「馬頭尊・慶應四年・下籠谷村中」。
古すぎのような気もするが,口伝によれば持統年間686-97旱魃続きの時に丹生川上明神を勧請。
『栃木県神社誌』旧版には「御祭神は水日の霊徳に赫々たれば古来より官民の崇徳あり」と書かれている。高龗神,闇龗神の最強コンビ。
境内社:五柱稲荷神社,祭神は倉稲魂命,大巳貴命,太田神,大宮姫神,保食神
本殿:権現造木羽葺 幣殿:亜鉛葺 拝殿:流造亜鉛葺
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 高尾神社 下籠谷 薬王院
*『下野神社沿革史』巻六-5丁(明治36年1903刊)
芳賀郡大内村大字下籠谷鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社間口一間四方 雨覆三間四方 拜殿間口三間奥行二間 華表一基 氏子八十七戸 社掌石川綏恭仝所住
本社創建未た詳かにせす社域九百八十五坪平坦の地にして杉檜蔚然と生へ繁り幽静にして雅致あり
暗くてよく見えない
口三つ変形
入口を振り返る 長い参道 寛政七乙卯年1795
慶応四年1868馬頭尊 入口の石祠 後方右手の山中に鎮座
三谷

高龗神社

[たかお神社]

真岡市・三谷487 みや

使用文字[龗]

主祭神:高龗神 闇龗神

旧地名:芳賀郡二宮町大字三谷487
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ],闇龗神[くらおかみのかみ],大雷神 最強の祈雨祈晴の神々。
水戸部から直線にすれば北東に1.5kmなのだが,どの山か分からず,お尋ねすると指さすところが三谷神山。「車でずっと入って行かない方がいいよ」
畑の窪地に駐車して登る。しばらく行くと右手に鳥居が二つある神社がひっそりと。
鳥居に掛かる平成13年の銅額には口3つ付きで「高龗神社」。拝殿の額も同じ。
かなり高いところで,南西の方角に関東平野が広がる。
ベンガラ色の着色がほどこされている石の摂社。他の社はすべて木製。
狛犬も石燈篭もなく,神社本来のお姿のまま。気持ちのいいところだ。
大前神社兼宮司の「高龗大明神を拝する三谷の弥栄を祈りて」設けた名文の石碑にも正式な文字。
「1215年の昔・・・延暦六年787に大神様を勧請された。爾来大同三年808,寛政元年1789とご造替事業を果たす。遥かに富士山を望み小貝川の清流に洗われる御山に,大巳貴神様と別雷神様を拝し,次いで高龗大明神と加茂大明神,二荒大明神のご神威を奉戴されたと伝わる」
栃木県屈指の古社,タカオ神社の中では茂木小山に次いで3番目に古い。
龗文字の高龗神社では石那田宝亀八年777の次に古い。
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ大明神]と称し,神仏分離で高龗神社に改称した。
本殿:流造銅葺 幣殿・殿:銅葺 例祭:11月1日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位高於加美 三谷 姓田島
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻9丁
芳賀郡物部村大字三谷鎭座 村社 高龗神社
祭神 高游加美 建物本社一間四方 雨覆間口三間奥行二間 末社八社 華表一基 氏子三十九戸 社掌柳田茂平眞岡町大字東郷住
本社は大同三年808の創建なり 社域三百四十四坪高燥の地にして字入宮に在り
口みっつ付き正字の鳥居額
口みっつ付き正字の拝殿額
口みっつ付き正字の由緒
かなり高い所に鎮座
右手の山頂に鎮座
水戸部

高龗神社

[たかお神社]

真岡市・水戸部 みとべ

使用文字[靇]

 主祭神:高龗神

旧地名:芳賀郡二宮町大字水戸部
県南。隣りは茨城県。鬼怒川の東に位置し,五行川,小貝川が流れる関東平野の稲作地帯。
小高い山がいくつかあり,見つけ出すのに苦労した。迷い込んでバックでしか戻れない所も。偶然にも目通り2mありそうな「水戸部のえの木」に出会った。
小貝川沿いでお尋ねするとちょうどお宅から見える山。北関東自動車道の工事で道が目茶苦茶になっており,まさに工事現場に通じる未舗装の坂を上って駐車。杉の山を徒歩で上る。
木製で銅を葺いた立派な両部鳥居。
拝殿の額は「高雨+龍神」,神社の「社」の文字はなく3文字。年代不詳。
杉の木立を透かして南の方角に関東平野が広がる。
狛犬も石燈籠もなく,神社本来のお姿のまま。すがすがしいところだ。
栃木県最南端の高龗神社である。
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ大明神]と称し,神仏分離で高龗神社に改称した。
二宮には三谷神山に高龗神社がもう一社見つかる。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 高於加美大明神 水戸部 村正 孫介
*『下野神社沿革史』6巻9丁(明治36年1903刊)
芳賀郡物部村大字水戸部鎭座 村社 高龗神社
祭神 高游加美 建物本社五尺四方 雨覆間口二間奥行五間 華表一基 氏子十四戸
本社創立不詳社域百五十五坪字前山に在り
社をつけていない神名額 雨龍字で高龗神
雨龍の靇
ここから山を登る 見下ろす 見上げる
両部鳥居 山の南裾に水戸部のえの木

 

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