龗字の神社

おかみを名のる神社

=於可美=淤加美=淤迦美さらに意加美
おかみを名のる神社としては
●日本書紀の表記から
「龗神社」(おかみじんじゃ)大東市,高がつかない。
「闇龗神社」(くらおかみじんじゃ)つがる市鶴田町
「高龗神社」(たかおかみじんじゃ)三輪山
「高龗神社」(たかおじんじゃ)栃木県にはこの呼び方しかない。
●古事記風の表記
「於加美神社」福島県南会津地方
●古事記風の表記法をとり於を意に交換(古代表音のと発音)
「意加美神社」(おかみじんじゃ)庄原市総領町稲草,枚方市,泉佐野市
「多加意加美神社」(たかおかみじんじゃ)広島県庄原市口和町向泉
「國津意加美神社」(くにつおかみじんじゃ)壱岐島石田郡>郷ノ浦町本村触の由緒案内板の読み
 
多加意加美神社の「多加」は古事記では「多加比加流」(高光る)「多加紀」(高城takaki)「多加佐士怒」(高佐士野)のように「高」で使われている。
日本書紀は漢文の性格上「多加」の使用例なくすべて「高」。
250年前の栃木県では書記+古事記風混在の「高於加美」表記など。
」は稲荷山鉄剣銘文に「富比垝」とあるのを岸俊男氏は「オホヒコ」と[o]音で読んでいる。日本書紀が用いた百済関係史料に穂積臣押山君を「斯移麻岐弥」とある。(中央公論「ことばと文字」)。隅田八幡宮画像鏡「柴沙加宮」オシサカのミヤ。
現在[i]と読む地域があるのは時代が下って漢字教育が普及したための誤読。ただし延喜式神名帳九条本で他国の意加美にはすべてオカミのルビなのだが壱岐島の國津意加美神社に限って「クツイカミ」のルビが振ってある。昭和四年1929の皇典講究所・全国神職会校訂の延喜式神名帳では「意加美」は[オカミ]のルビで統一された。河内国の「意支部神社」のルビも[オキヘ]のルビ。「意」は[オ]と読んでいた。延喜式神名帳ではオカミは古事記ふう表記のみで龗字はない。
 
神社名では以上のバリエーションに「高尾」「高雄」「高男」「雄神」が加わる。
文字

龗・文字のかたち

字典では龍部,総画33

を文字から見ると,まず霊の旧字体から巫をとった(雨の下に口3つ)「レイ・リョウ・リャウ」がある。この字は「雨が降る,落ちる・よい」の意。また降雨を祈る儀礼を表す(字統)。その下に雲を呼び雨を降らせる龍を置いた字が。龍部に属し,読みは「レイ・リョウ・リャウ,りゅう,おかみ」

口口口 雨の下の口3つは祝禱の器utsuwaを3つならべて雨が降るよう祈った様子。(白河静『字統』)
口はもともと「サイ」という祝禱のウツワをあらわした。吉・名・告・舎・召などの文字に使われる口である。ヒトのクチで使うのはずっと後になってから。器という字も四口をならべ犬牲を用いて清めたウツワ。
「雨降らせたまえ」などの祈願文をしたためた紙または木簡をこのウツワに差し込んだかもしれない。
雨の下に口3つは,まさに降雨の儀式そのもの。
降雨の儀式をとりおこなう女がついて,より具体的に降雨の儀式をあらわす。神霊の降下を願う時も同じ形式の儀礼。
アマテラスの別名[おおひるめのむち]大日孁貴に使われる文字には巫女の「女」が付いている。祈雨・祈晴の晴れの方。の口3つはダテについているわけではない。 
は韓国の『漢韓大辞典』にも採録。発音はハングル表記で[リョン],龍・神・神霊となっている。
Unicode = 9F97 このHPでは 龗 をソースレベルで記述して表示させています。この方法ならドキュメントエンコーディングはShift JISでも表示できますが,このHPはutf-8で記述しました。
日韓の字典にものっており,Unicodeで表現できるを神社の都合で口を省いてしまうのはおそろしいことだ。雨龍では嵐がきてしまう。
雨の下に龍の字 Unicode9747が載っている『日本書紀』写本はすでに江戸時代に登場している。「口3つなしの日本書紀」参照。
空海の著した日本最初の字書と,半世紀後の昌住編の新撰字鏡に口なし雨龍字が収録されている。これについては後述。

字の口3つは,図のように御神酒を注いだ椀を3つ並べた状態の象形文字なのだろう。
原始的には皿のようだったかも知れないし,もっと背が高かったかも知れない。
台がつき,高坏になり,赤くなったり,金色になったりして変形していく。
神社の名前の文字としては,ぜひ口3つ付けてほしいものだ。
萬葉集

『萬葉集』では「於可美」の文字があてられた


「藤原夫人の和し奉りし歌一首
わが岡の(okami)に言ひて降らしめし雪の摧(kuda)けしそこに散りけむ
(萬葉集巻二・国歌大観の歌No.104)
 
万葉仮名於可美を『新日本古典文学大系』ではを使って訓み下している。昭和32年版も同じ。
「私のいる(大原の)岡の水の神に命じて降らせた雪の欠けらがそちらにこぼれ散ったのでしょう」
(明日香浄御原宮にいらっしゃる天武天皇が大原に里下りしていた藤原夫人五百重姫に賜わった歌への返歌。大雪だなんて,こっちはもっとすごいのよね,そっちの雪は塵みたいなものですよ)
昭和32年版『日本古典文学大系』では「おかみ=竜蛇の神。水を司る神と信じられていた。ミは甲類miで神のミ乙類mïとは別音」とある。(iの上に点2つ)
萬葉集原文には龗の字は使われていない。
*仙覚の万葉集註釈1269年では豊後・常陸国風土記を引いてヲカミを説明。まだ龗は出てこない。
*下河辺長流が万葉集管見1661-73で日本紀に言及。
*北村季吟が万葉集拾穂抄1686で豊後・常陸国風土記・日本書紀を引いて詳説。ここで龗字登場。
「おかみ」と仮名書きにした萬葉集もある。といっても万葉仮名を後世訓み下したものである。
窪田空穂の『萬葉集評釈』では「於可美」はかな書きで訓み下している。
「吾が岡の おかみに言ひて ふらしめし 雪の摧(kuda)けし そこに散りけむ」

【語釈】に(書紀の注を引いて)「竜此云於箇美」。「竜」の字が使われている。さらにコメント「日本書紀には高龗神takao-kamiがあり,古事記には闇於箇美神kuraokami-nokami」。(サンズイなしの於)
おかみは龍神としている。ルビに注目すると「高龗」に「たかお」と振られている。これは「神」字をつけたことによる単純ミスだろう。

しつこいようだが誤解のないように,萬葉集にはの字は使われていない。

余談になるが空に上る龍のかたちは尻尾がはっきりしている点では竜の字形の方が似合っている。昨年2006お亡くなりになられた白川静先生の『字統』は専門家には応えられないのだろうが,素人にもとても面白い字典で,ここに古形が載っている。
古事記

『古事記』では闇つきの「闇淤加美神」


イザナミの死因になった息子・火之迦具土神をイザナギがバッサリ切り殺した時に生まれた八神のひとりとして登場する。
刀に着いた血が湯津石村(無数の岩石)にほとばしって「石拆神・根拆神・石筒之男神・甕速日神・樋速日神・建御雷之男神」六神が出てくる。頚から噴出する血を噴火に見立てて石や岩や火や雷の神だという説をとるなら,ついで消防隊として「闇淤加美神・闇御津羽神」(くらおかみのかみ・くらみつはのかみ)が刀の柄を握る手の股から漏れた血から出てきて計八神。
古事記自身の読み方指南で闇淤加美は「淤以下三字以音」「おかみ」と読め,と書いてある。萬葉集では「於可美」だったがこちらはサンズイつきの「」。「可」は「」が採用された。
■『古事記』二か所め
 大国主の神裔である十七世の神のひとり比那良志毘賣の父として「淤加美神」
■『古事記』もうひとつシンニョウつき「淤迦美神」
 大国主神のひいひいばあさま「日河比賣」の父として「淤迦美神」の名が出てくる。つまり大国主のご先祖が「おかみ神」。占い師や行者さまより由緒正しい「おかみさま」。ここの「淤美神」は加えるにシンニョウがついている。
日河比賣の子が深淵之水夜禮花神。その子が淤美豆奴神。ひかわひめ・ふかぶちのみずやれはなのかみ・おみずぬのかみ,水に関係のある名である。したがって淤加美=淤迦美でいいだろう。
■「淤加美神・御津羽神」の「闇kura」のつく神に「天の戸神」「國の戸神」が古事記に見える。渓谷を司る。また「山津見神」谷山を司る。闇は神のあらわれる闇yami(字統)。神が人知れず,それとなくあらわれる。神の音なひ。> 幽暗。プラス指向の字である。暗愚は後世。
御津羽は日本書紀で罔象。美都波みつは。水の神。[みずは]=罔象で現代の国語辞典にも採録。
■万葉集と同じく古事記原文にもの字は使われていない。
日本書紀

『日本書紀』で「龗」の漢字があてられ
「高」の字と組み合わされる


日本語を軟弱な音読み漢字で書いた萬葉・古事記じゃなくてこっちは難しい漢字を使った漢文だぞ,雨に口3つ,さらにその下に龍だぞ,どうだ読めないだろ,okamiと読め。というので神代上の訓注に「,此には於箇美と云ふ」。いよいよ「おかみ」にも漢字があてられる。
「巻第一神代上」に出てくるのは3か所。『古事記』と同じくカグツチの血から神が出てくる内容の箇所。
 
■復劒鐔垂血,激越爲神。號曰甕速日神。次熯速日神。其甕速日神,是武甕槌神之祖也。亦曰甕速日命。次熯速日命。次武甕槌神。復劒鋒垂血,激越爲神。號曰磐裂神。次根裂神。次磐筒男命。一云,磐筒男命及磐筒女命。復劒頭垂血,激越爲神。號曰闇龗。 次闇山祇。 次闇罔象
最後の三神は水の神「闇龗くらおかみ,闇山祇くらやまつみ,闇罔象くらみつは」。古くは刀剣三神・火力三神・水三神に分けた。『古事記』より闇山祇が一神多い九神。遂抜所帯十握剣,斬軻遇突智為三段。カグツチを三つに切り倒した剣の三箇所,剣刃・剣鐔・剣頭から三神ずつで九神という数字合わせをした一書があったということだ。
「山神等號山祇」と書いてあるので「闇」を谷にこじつけて闇山祇を水に関係ありとしているのだが・・・未解決。
■一書曰,伊奘諾尊,拔劔斬軻遇突智,爲三段。 其一段是爲雷。 一段是爲大山祇。一段是爲高龗
カグツチを三段に切った一段から生まれた神の名を「高龗」という。
日本書紀で「高」の字と組み合わされることになる。注目すべきは「」字が付いていない点。雷神,大山祇神には神字が付いているのに。
,此云於箇美。音力丁反
上の一書曰の龗の読み方を示している箇所。「おかみ」ト読メ。古事記とは「箇」が異なるが,同じ内容の神話で「」=古事記の「淤加美」である。
書紀では難しい漢字には読み方と音の注をつけていた。「力丁」は音読みを示す。
ルビを振った江戸期の書紀では「呉音リキ+漢音テイ」で「リキテイのカヘシ」としている写本と「漢音リョク+漢音テイ」としている写本がある。いずれも[リイ]。700年頃の日本風漢字音を示そうとしたのだろうが,中国語であれば「の字は[lí]+[dīng]=[líng]となるから,ここから乱暴に日本風漢字音を導き出せば同じく[リン]。(記号文字化けたらすみません)岩波版を最近調べたところlįək+täŋ で[läŋ]としているので,こちらはカタカナなら[レン]が近いか。
ただ,書紀の編者が中国語の音で表わすつもりだったのか,日本語の音で示すつもりだったのかが分からない。
森弘達氏の分類で巻1はβ群なので,分注も倭音でいいのだろうが,当時の字にわざわざ発音指南を表記したかった編者の意図はどの辺にあったのだろうか。を使った熟語が他にもあったのだろうか,いまのところ謎である。
書紀の始めの方に「大日孁貴,此云於保比屢能武智。力丁」(コレヲバ,おほひるめのむちト云フ。孁ノ音ハ力丁ノカヘシ)の例が見える。靈の下についている「巫」が「女」になっている字。雨女より,晴れがましく,ずっと由緒正しい。なにしろ「一書云,天照大神」である。
余談だが「反」は「切」に変化する。「●XY」の形式は時代が下がれば「●XY」と表記される。反切法といわれるのはそのため。朝鮮語の学習に反切表を使うが,ハングルの発音表のこと。
1982刊行の『漢韓大辞典』ではの反切表記は「郎丁切」で,カタカナで[レイ]としている。
 
『豊後国風土記』(小学館『風土記』p.292)「即有蛇龗」の分注に「謂於箇美」とある。
注に「「龗」は『説文』に「龍也」。『万象名義』に「霊也。神也」,「山神」。…山椒魚説,イモリ説もある」。岩波古典大系の注は「水の神。蛇の類をいう。山椒魚またイモリかとする説がある」。蛇に足の生えた生物が泉に生息していたので,きっとまずいから飯を炊くな,といわれてしまい臭泉からクタミの郷という地名が生まれたとする説話なので,水神はいいすぎで書紀研究の反映だろう。
字形は天理図書館蔵の承応三年書写本では口なしの雨+龍。1654年には口なしのオカミ字が書紀以外でも使われたとになる。
(これも余談だが,新井白石「東雅」「狼をオホカミといひしは」で「豊後国風土記に直入郡珠覃郷の蛇をヲガミといひしが如くなるべし」。蛇や狼が「おかみ神」だといっているのではなく大神は遍在することを述べたところ)

高龗の「高」


「おかみ神」に「高」を付けたのは古記録では『日本書紀』だけである。現存する「龗」字のつく神社のほとんどは「高」が付く。では「高」とは?
古事記・日本書紀では「高」は場所・身分・状態の「位置の高さ」を表す以外に用法はない。上の方,気高い,丈高い,大きい,尊い。(書紀の字形ははしご髙が多い。しかし髙が旧字というのは俗説。清原朝臣原蔵版ははしご髙とふつうの高が混在している)。
 
日本書紀:高天原,高皇産霊尊,高姫,高千穗峯,高御魂=祝詞
古事記:高御産巣日神,高市,阿遲鉏高日子根神,高比賣命,庭高津日神,夏高津日神,高木神之命,天津日高之御子,吉備之高嶋宮,葛城高岡宮,葛城之高千那毘賣,高向臣,名高材比賣,葛城之高額比賣,高津池,高志池君,高木比賣命,高穴穂宮,高木之入日賣命,高目郎女,難波之高津宮
 
はじめ「龗神」があり一文字でおちつかないのか次いで尊称の「闇」がついて幽暗な「くらおかみ神」となる。
日本書紀の一書で闇のかわりに上位をあらわす「高」がついて「たかおかみ神」になったと考えていいのではないか。

闇龗の「闇」


■一書No.6
號曰闇龗;。次闇山祇。次闇罔象
「闇」字は書紀の最初に出てくるのが上の三神の箇所。カグツチの血が劒先から滴り落ちて出てきた神。闇の字でくくられている。谷の激流を這いのぼる巨大な龍。山間部の嵐のイメージ。
■一書No.7
一段是爲雷神。一段是爲大山祇神。一段是爲高龗
こちらは雷・大・高と広大になっている。視線は上を向く。高山の上空に雷光。雨を降らせながら天に昇る龍。天空雷雨のイメージ。
 
「一書」で趣が異なる。
一方が「渓谷」なら,一方は「天空」のイメージ。
すると闇龗高龗は対局に位置する兄弟あるいは夫婦神になる。
しかし,「一説によれば谷の神,別の資料では山と天の神」ととれば同一神になる。書紀の資料採録方法を素直に解釈すれば
闇龗=高龗らしい
闇山祇=大山祇らしい
雷神×=×闇罔象これは別

という考えで編集している。

*栃木県では「暗」を「黒」にして「高於加美宮黒於加美宮」と記録した『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)がある。
永徳

永徳元年1381以後の『日本書紀』


 永徳元年1381  京都大学付属図書館蔵 http://hdl.handle.net/2433/24032
左は「日本書紀巻第一/永徳元年十月廿一日以累家之秘本書写之訖/正五位下行中務少輔卜部朝臣兼敦」/「同年黄鐘第三月加点校合而己/正四位上行神祇権大副卜部朝臣兼熙」と奥書にある1381年の手書き写本。
小生が目にすることができる最古の写本で,口3つ付きの龗字で書かれている。
「闇龗」のルビは[オ],「高龗」のルビは[ヲ],読みの注は[ヲ]と使い分けられている。理由は分からない。
「力丁」のルビは[リョクテイ]

 慶長四年1599  京都大学付属図書館蔵 http://hdl.handle.net/2433/24029
つぎは跋文に
「慶長己亥姑洗吉辰 正四位下行少納言兼侍従臣 清原朝臣国賢敬識 以□(欠字)本板行」 別紙奥書に「奥書曰,右上下巻所以朱点直改者向於吉田萩原之第受聞神代之口義之節以彼相伝点之訖所謂日本書有,以仮名為根元之故点之差別読之開口神書之肝要也,云々,秘蔵云々,重而二巻可書改点之者也 時明暦二年二月十七日 賀茂縣主季通」
とある1599年の手書き写本。口3つ付きの龗字で書かれている。
この年,木活字の慶長勅版『日本書紀』が発行される。
「闇龗」「高龗」のルビは[ヲ],読みの注も[ヲ]で統一されている。 「力丁」のルビは[リョクテイ]

 慶長四年1599書紀が始めて印刷される
 国立国会図書館貴重画像データベース http://www.ndl.go.jp/
手書きの写本でなく,印刷物として最初に刊行された『日本書紀』。後陽成天皇の命で木活字で印刷した古活字版で「慶長勅版」と呼ばれている。20数冊しか残っていない超貴重本。
「龗」字は3か所すべて正確に彫られている。


 慶長十年1615 口の変形罒が登場 京都大学付属図書館蔵http://hdl.handle.net/2433/828
つぎは「慶長十乙巳年三月上旬二日」の奥書のある1605年の写本。
たいへん興味深い口の変形である。
栃木県の高龗神社の文字に多い,
「雨+罒+龍」
石に刻字する際の工夫かと考えたのだが,この写本に見つけることになった。
すでに400年前には登場している。
訓注のルビは清音で[ヲカミ]になっているが,本文は濁音[ヲガミ]にしている。

 慶長十五年1610 版木 (明治十六1883年刊 伴信友校訂)
明治に出版された書紀だが慶長四年の清原朝臣國賢敬識「勅本板行」版を復刻したもの。慶長十五1610の洛汭野子三白の後書きが慶長四年の跋文より前にある。
明治の奥付が面白い。「印行所 東京神田五軒町八番地 石版銅版木版諸株券書籍類印刷所 精版會社」とある。
伴信友1772-1846が江戸末期に校訂した書紀を明治になって出版したもの。全30巻。
おかみ字は正式。ルビがふんだんに振ってある。漢文訓み下しのオクリもふんだんに。
「クラヲガミ」は濁点つき。高龗神は清音。
「レイ此ヲハヲカミ」と[ヲ]を使用。
 国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://www.ndl.go.jp/

勅版

慶長四年1599『日本書紀』

慶長勅版


手書きの写本でなく,印刷物として最初に刊行された『日本書紀』。後陽成天皇の命で木活字で印刷した慶長勅版。20数冊しか残っていない超貴重本。写真は国学院大学所蔵。
赤はkyonsight,ルビもレ点もない。
「龗」字は正確に彫られている。(クリックすると拡大表示になります)





伴信友校訂『日本書紀』1883年


全30巻。
おかみ字は正式。ルビがふんだんに振ってある。漢文訓み下しのオクリもふんだんに。
「クラヲガミ」と濁点つきの箇所も。
「レイ此ヲハヲカミ」と読める。
(クリックすると拡大表示になります)




口なし

口3つなしの『日本書紀』


 天文二年1533 『日本書紀神代巻』 京都大学図書館蔵 http://hdl.handle.net/2433/886
「天文二年1533三月廿一日於青蓮院講始同五月六日講終(已上此巻/五ヶ度)環翠軒宗尤/従二位清原宣光蔵」の奥書があり室町にはすでに口なしの「おかみ」字が使われている。
儒学者清原ノブタカ=環翠軒が大永七年1527頃に書写し,天文二年1533に書紀解読の講義をした,赤点はそのときのものらしい。
龗は龍であると説いている。
発音を示す反切もすでに「切」を使用している。
つぎに出てくる「高龗」と「闇龗」は口3つ付きの正字。
さらに高龗と闇龗は同じ竜神の類としている。
口なしと口ありと両方の文字が使われているが,これはスサノオについてもいえることで,素盞嗚と素戔嗚と皿付きとなしの両方が使われている。

元和七年1621 京都大学図書館蔵 http://hdl.handle.net/2433/827
左は最初と同じ清原宣賢の『日本書紀神代巻抄』を元和七年1621に書写したもの。
「闇龗」は口なし雨龍,大きい字の本文も小さい字の語義も口なし。
ところが「高龗」の方は大きい字の本文も小字の語義も口3つ付きの正字。
さらにここでは闇龗にもきちんと口が付いている。
口付き,口なしと正確に書き写していることが分かる。
左の龗のルビが「ケイ」に見える。凶[ケウ]のルビと同形に見えるのでやはり[ケイ]=未解決

 京都大学図書館蔵 http://hdl.handle.net/2433/24028
口あり正字と口なし雨龍の混在が上記3点と異なり,闇龗と高龗が口なし,訓注が口ありというめずらしい書紀。
他にも月と日,大山祇が大山底などの誤写があり,口なしは誤写なのだろう。
京都大学付属図書館蔵の年代不詳の写本に見ることができる。

 国立国会図書館近代デジタルライブラリー  http://www.ndl.go.jp/
つぎは「舎人親王 編 清原朝臣原蔵版 明治17年3月6日翻刻御届同4月出版 上原氏」と扉書のある1884年,上原佐之吉刊行の復刻版。原著の発行年不明。
最初にあらわれる「おかみ」字は雨+龍である。 しかし,そのつぎの「おかみ」2字は口3つ付き。
3つめのルビ「ニイ」に見えるのは「レイ」ではないか。 「力丁」には[リョク・テイ]のルビ。
おかみのルビは,[ヲ]に見える。龗は清音。
写本の系統で「闇龗」は口なし,「高龗」は口ありの伝統があるようだ。
しかし,以上3点はまだ口3つ付きを使用している。雨龍は闇龗の箇所だけである。

六国史

六国史の『日本書紀』1893年

六国史校本,巻之第一,大八洲学会訂正,飯田武郷,木村正辞校訂

 
おかみ字は正式。
ただし,高龗がでてくる一書は他の日本書紀と異なる位置に編集されている。
赤矢印の4行はふつう「赤レ」の箇所に入る。
校訂の結果なのか単なる編集ミスなのかは不明であるが,飯田武郷の通釈が同様なのでこの系統の写本があるのだろう。
(拡大・赤点はkyonsight)
(クリックすると拡大表示になります)



飯田

『日本書紀通釈』1890年


 
六国史校本の校訂者飯田武郷著Iida Takesato 1828(文政11.12. 6) 1901. 8.26(明治34)
大八洲学会,明治22-23 1890刊 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
江戸から明治にかけて文武両道生き抜いた飯田武郷が,江戸までの書紀研究を網羅した大著。いまや誰もとり上げないので,参考までに。「神名帳ニ意加美社處々ニ見ゆ」とあり,栃木県の『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)にも「高於加美神社/大明神」で18社記載されている。
おかみ字は口3つ付きの正字。
六国史校本の順序が単なるミスでなく校訂者の判断によることが分かる。ただし「高龗と見えて。已ニ高龗神は成坐るを」と「高」をつけるミスがある。したがって飯田武郷を引用するとそっぽを向く方もいるらしい。それでも当時の出版事情と情報の共有事情を考えると,素人にはとうてい及ばない驚異の情熱と精力が感じられる。
現在,活字では読めないと思うので,どんな本なのか水神・おかみのところを写してみた。
-----入力kyonsight変体仮名の「尓」は「ニ」に変換。ルビは( )に。句点原文のまま。 罔象女。記云於尿(ユマリ)成神名彌都波能賣神と有り。[一書にも。小便に成坐る神とあり。]名義。重胤云美都ハ水なり。水ハ山川海陸共ニ充満る物なるニ依て山ニハ大山祇ノ神。谷ニハ闇龗(クラオカミノ)神闇罔象(クラミツハノ)神坐し。速川ニハ瀬織津(セオリツ)比<口+羊>ノ神。水門ニハ速秋津日ノ命。海ニハ大綿(オオワタ)津見ノ神。井ニハ御井(ミ井)神。水を引(マカ)するハ水分(ミクマリノ)神。雨ハ高龗(タカオカミ)神なと。持分て主り玉へれと。水神ハ何れを司すと云ニ。右の如きハ。各其限の有を。水神ハしも其用を成す水の悉(コトゴト)くニ主(ムチ)と坐神也。然れハ美都波ハ水生(ミツハ)ニて。水を産成し玉ふ意の御名也けり。偖sate波の生なる由ハ。上なる埴山の下ニ云るを。比言ハしも。本我と彼とを判つ意なるを以て考るニ。山野草木ニ含る水気。始て分れて水の体と成し。雲と判れて雨露となる是即水の端(ハジメ)を成て生出るな里。此を以て美都波の意を思ふへし。と云れけり。偖今世の人ハ。大概美豆と濁りて云へとも。古ハ清濁二方ニ云へりしなり。・・・
罔象の字ハ。史記に水之怪ハ龍罔象。白澤圖に。水之精名罔象。なとあるに採れるなり。和名抄に魍魎をミツハと訓し。水神也と注せり。・・・
(古事記引用)・・・を第七一書ニ。一段是為高龗と見えて。已ニ高龗神は成坐るを。今又此神の生坐ハ。其御功を輔相て,雨を降らせ玉ふ神なるへし。名義記傳云。久良ハ谷のことなり。闇と書るは借字也萬葉十七鶯の奈久々良多爾とよめるも。たゝ谷のことそ。又諸国ニ某倉倉某と云地名の多かるも。谷よりそ出つらむとあり。さて名義淤加の意ハ未思得す。美ハ龍蛇の類の称なりと。記傳ニ云れつれと。(Suzuki)重胤云,龗ハ字書ニも龍也とも注せれハ寔makotoニ龍神ニ坐へし。常陸風土記行方郡絛に。俗謂蛇為夜刀神。其形蛇身頭角。*率似鹿と云る状。寔ニ合へり。名義大驅水(オカミ)なるへし。記傳なる大年神の后神に天知迦流美豆(アメシルカルミズ)比賣の。天は借字ニて。雨知驅水姫と云事と。心着て考るニ。雲霧と成て水の空ニ上れる即驅(カル)なり。又其雲霧を分散して。雨と降らせる其も亦驅なり。又夏なとの照続て。遠灼く晴度りたる大空ニ。夕立の降る状なと。殊ニ其水を驅給ふ事の甚しき也。此を以て此神の水を御心の任々ニ。物為玉ふ事を知へし。豊後風土記ニ,球珠郡球覃郷。此村有泉。昔景行天皇行幸之時。云々令汲泉水即有蛇龗。謂於箇美。於茲天皇勅云。必將有龍一作**自死。莫令汲用云々。・・・萬葉集二巻・・・是らを思ふニ。此神は龍ニて雨を物する神也。一書に高龗と云もあり。其ハ山上なる龍ノ神。この闇龗ハ谷なる龍神なり。とあるハさることなり。と云り。神名帳ニ意加美社處々ニ見ゆ。
*『常陸国風土記』「俗kunihitoの云はく,蛇hemiを謂ひて夜刀の神と為す。其の形,蛇の身にして頭kashiraに角あり。率ohmuneね祠matuりて難wazawahiを免る」より推測すれば,判読が難しい「下に十」の字は「率」か。「率似鹿」は「おほむね鹿に似る」と読むか。
**自の下に死=Unocodeなし。臭の同義らしい。

空海

平安時代の空海の字書には


空海『篆隸萬象名義』
天長七年830以降平安初期に東大寺沙門大僧都空海撰と署名のある日本最古の字書。1114年書写の高山寺蔵本六帖が伝わる。
定本弘法大師全集 9にも収録。
 靇 力丁反。靈也、神也、善也、福也。
 龗 同上。山神。
1200年前の大天才空海は雨龍に口のあるなしにこだわっていない。さらに「山神」と釈している。

僧・昌住『新撰字鏡』
空海からほぼ半世紀後に成立した『新撰字鏡』は本居宣長に酷評されたが,再評価すべき日本語の宝庫である。
平安時代の昌泰年間898年~901年成立。天治元年1124写本が伝わる。
『天治本新撰字鏡-増訂版』京都大学文学部国語学国文学研究室編、臨川書店,1967
図書館で見ることができる。享和本・群書類従本も収録。
1803年に刊行された享和本と群書類従本はダイジェスト版で龗は収録されていない。
【雨部】
 靇 上古文。
 靇 龍字。
【鬼部】の最後
  判読困難な[虗マタハ雲+鬼]のような字が二つ 二作同。力丁反。有神人面獸身名、犁也、善也、神也。
 靇 上字。
「上古文」はクラシック,つまり旧字という意味か。しかし次の見出しの口なし龗との関係は触れられていない。 鬼の部の龗は龍部として記録したのではなく,その上の旁が鬼の字と同じという概念でここに収録したのだろう。上の判別できない字の釈は龗にあてはまる。「力丁反。善也、神也」は空海の「力丁反。靈也、神也、善也、福也」と合致する。「力丁反。善也、福也」は靈と合致。
 靈 力丁反。善也、福也。
したがって「龗」は『新撰字鏡』の判別不能文字と同義ということになる。残念ながら小生の脳では見えない。『萬葉代匠記』の「或作虗+鬼」で補足すべきか。
契沖

『萬葉代匠記』では


『萬葉集』はすでに触れたが,最近『萬葉代匠記』を調べることができたので,参考に挙げておきます。
『萬葉代匠記』巻二 朝日新聞社刊,契沖全集第二巻,岩波書店刊,早稲田大学出版部編デジタル版で見ることができる。‏以下に朝日版を写してみた。岩波版とは注に異なる点がある。/は割注。

▉初稿本 貞享五年1688-元禄元年1688-頃
藤原夫人奉和歌一首
吾崗之於可美爾言而令落雪之摧之彼所爾塵家武
わか岡のおかみにいひてふらしめし雪のくたけのそこにちりけん
ほこりておとしむるやうによませたまへは,御かへしもまたたはふれて,あさむくやうによみたまへり。
おかみは,日本紀第一云。伊弉諾尊,抜劔斬軻遇突智爲三段,其一段是爲雷神,一段是爲大山祇神,一段是爲高龗。又云。復劔頭垂血激越爲神,號曰闇龗 至後自注云。龗此云於箇美,音力丁反。延喜式神名帳,河内和泉等をはしめて諸國におほく意加美神社あり。又豊後國風土記云。球珠郡。○――おかみは地龍なるへし。此大原の里のあたりの岡に住おかみにふらしむへきよしをおほせて,とくこゝにふりし雪のくたけたるか散て,そこにもふりたるにてこそさふらはめとなり

▉精撰本 元禄三年1690頃,
吾崗ノオカミニイヒテフラシメシ雪ノ摧ノソコニチリケム
令落‏/官本點,フラシムル。仙覚抄同之‏/ 摧之‏/仙覚點クタケシ。幽斎本同此‏/
オカミハ,龍ナリ。神代紀上曰。伊弉諾尊,抜劔斬軻遇突智爲三段,云々。一段,是爲高龗。自注云。龗云於箇美(オガミ),音力丁反,延喜式神名帳ニ,河内,和泉等ヲ初テ,諸国ニ多ク意加美(オカミノ)神社アリ。又豊後風土記云。球珠‏/‏直入,尺日本紀/郡,球覃(クサミノ)郡‏/在郡北,尺日本紀‏/此村有泉。昔景行‏/‏纒向日代宮御宇,尺/天皇行幸之時,奉膳之(カシハテノ)人,擬於御飲‏/飯,仙覚‏/令汲泉水即有虵靇,謂於箇美‏/‏四字,尺付/付注也/於茲(ココニ)天皇勅(シテ)云。必將有自+死 ‏‏/龍,尺‏/莫令汲用,因斯名曰自+死泉‏/闇,尺‏/因(テ)爲名(ト)。今謂球覃郷者‏/訛,尺‏/也。玉篇云。龗‏/力丁切,龍也。又作靈,神也。善也。或作虗+鬼‏/,靇‏/同上‏/。 歌ノ心ハ,此大原ノ里ノアタリノ崗ニ住オカミニ降シムベキヨシ,我仰テ,トク此ニ雪ノフレル其アマリノソコニハ降タルニコソサフラハメトナリ,摧ハ物ノ摧タルカタハシノ意ナリ

▉早稲田大学出版部 契沖 萬葉集代匠記 巻之二上
令落,‏/官本點,フラシムル,仙覚抄同是,‏/ 摧之,/幽斎本點,クタケシ,仙覚同此,/
オカミは,龍なり,神代紀上曰,伊弉諾尊,抜劔斬軻遇突智爲三段,云云,一段,是爲高龗,自注云,龗云於箇美,音力丁反,延喜式神名帳に,河内,和泉等を初て,諸國に多く意加美神社あり,又豊後風土記云,球珠郡,球覃(クサミ)郡,此村有泉,昔景行天皇行幸之時,奉膳(カシハテ)之人,擬於御飯令汲泉水,即有虵靇謂於箇美,於茲天皇勅云,必將有自+死,莫令汲用,因斯名曰自+死泉,因爲名,令謂球覃郷者,訛也,玉篇云,龗,/力丁切,龍也,又作靈,神也,善也,或作虗+鬼,/靇/同上/ 歌の心は,此大原の里のあたりの崗に住むおかみに降らしむべき由,我仰せて,とく此に雪のふれる其あまりのそこには降りたるにこそさふらはめとなり,摧は物の摧けたるかたはしの意なり

▉延喜式神名帳ニ,河内,和泉等ヲ初テ,諸国ニ多ク意加美神社アリ…?
延喜式神名帳を調べてみたが「多く」とはとてもいえない。いまふうにいえばフェイクニュースで現代まで拡散している。小生大天才と敬する白川静先生も『字統』902頁に「〔代匠記〕に,いずみの出るところに「意加美の神社」の多いことをしるしており,わが国でも水神とされた」と記してしまわれた。上述の通り『萬葉代匠記』に「いずみの出るところに」とは書かれていない。さらに代匠記にある河内,和泉に限って数えてみると式内社総数146社のうち「おかみ神社」は次の4社にすぎない。
 河内国 茨田郡 意賀美神社[オカミ]
 河内国 石川郡 大祁於賀美神社[オホケオカミ]
 和泉国 和泉郡 意賀美神社
 和泉国 日根郡 意賀美神社
式内社全体でも他に4社しか見つからない。「諸国ニ多ク」とはとてもいえない。
 壱岐嶋 石田郡 国津意加美神社
 備後国 恵蘇郡 多加意加美神社
 備後国 甲奴郡 意加美神社
 越前国 坂井郡 意加美神社
「おかみ神社」は全国の式内社2861社の0.0027%なので,極端に少ない。もちろん泉とも関係がない。契沖が「諸国ニ多ク意加美神社アリ」と記した元禄元年1688の頃には,あちこちにたくさん「おかみ神社」があったのだろうか。それとも単なる伝聞憶測を書いたのだろうか。

 

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