戸室神社
宇都宮市・大谷町1797
[とむろ神社]
配神:高龗神
旧住所:城山村大字荒針
主祭神:鳴雷神 配神:
高龗神
[たかおかみのかみ]
境内社:大国神社(大国主命),橿原神社(神武天皇)
一の鳥居右脇の昭和24年の「境内地譲與記念碑」に,奥羽討伐の砌,源義朝が下向させた宗圓座主が,調伏祈祷のため天喜二年甲午八月1054に戸室山に鳴雷神社を鎮祭した旨の記述がある。ここに,明治維新後「社名を戸室神社と改称せり」とあるので,「山」なしで「戸室神社」でいいだろう。『栃木県神社誌』も戸室神社としている。なお『栃木県神社誌』では創立月が天喜二年六月となっている。改称したのは明治十年1877である。
大正二年1913・11月2日庵ノ下にあった「高龗神社」を合併。
宇都宮環状線の西に大谷街道を行き,城山小中学校を見て左折すると田園地帯が広がる。 写真の杉の森の真後ろが戸室山。ほぼ山頂に近い南面に鎮座。
一の鳥居は柱がめずらしい六角形。二の鳥居の額は「戸室山神社」と「山」が付いている。付近に弘化三年丙午1846の石塔や,何かの残骸がごろごろしている。
ここまではいいのだが,見上げると大谷石の階段がはるか上に続いている。二日酔いだったので,息切れがして,三度休んでたどりつく。
上りきったところに昭和十二年1937の狛犬。右手上に赤屋根の拝殿が見える。
ここの境内地盤はたぶん大谷石。山全体がどうも大谷石のようだ。石段も山をそのまま削っている。 石段の最初の段の右端を彫り込んで手水石としている。
明治四十四年1911の奉納石碑に「戸室山鳴雷神社」
昭和九年1934の「神楽殿新築記念碑」があるので左手の石の遺構は神楽殿か。
昭和24年1949・5月の「戸室山神社御拝殿新築記念碑」
拝殿内の額文字は山がなく「戸室神社」 さらに上がった奥に本殿。
境内に壊れた境内社が残っている。
神楽殿跡の下に下りていくと,人の手で組み上げたような巨石群を見ることができる。ひとつの岩が,幅5m以上はありそうだ。
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本殿:神明造トタン葺 拝殿:流造 例祭:10月第三日曜日
拝殿
鳥居付近・大正十年1921
二の鳥居
弘化三丙午年1846
長い石段
「昭和十二年建之」銘板
「昭和六年乃至九年」銘板
神楽殿跡
戸室山鳴雷神社
神楽殿新築記念碑
拝殿内
手前:本殿
付近の巨岩
鳥居右手の石碑の文字
奥の山頂に鎮座
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