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栃木県の神社
■栃木県の「高お神社」を106社調査してきましたが,これ以上は見つかりません。あとは偶然にたよるだけです。小さい神社を見かけたら立ち寄ります。ここでは,それら高お神社以外の社を順不同でご紹介してまいります。
■2016年3月にさくら市旧氏家の神社ほぼ全社紹介しました。40社ありました。
■2016年2月で上三川町の神社ほぼ全社紹介しました。40社ありました。
■2015年12月で鹿沼市の神社ほぼ全社紹介しました。235社ありました。
■2014年11月に益子町の全36社紹介しました。1つ見つかりません。
■2014年7月で宇都宮市の神社ほぼ全社紹介しました。386社ありました。山の上の数社はまだです。
■2013年6月に芳賀町の全41社紹介しました。
■2013年2月に壬生町の全46社紹介しました。
■2012年に「旧喜連川町」の37社を調査してきました。Googleピンポイント鎮座地作成しました。
■Googleマイマップに鎮座地ピンを立てる作業にとりかかっています。難航していますが,途中経過を発表していきます。Map左の目次中頃に「未確認」とある社についてぜひ情報をお知らせください。宇都宮市については362社を掲載しました。2ページに渡ってしまいましたが,おそらく現在のネット上ではこれ以上の一覧リストはありません。
ネットの地図には誤りもあります。御霊が御領などは愛嬌で,本社でなく境内社名で載っていたりします。まだまだ発展途上です。
■栃木県の神社を紹介するにあたってkyonsightが使用する資料はつぎのとおりです。
『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃成立
『栃木県神社誌』旧版の付録として収録されています。

下野国の神名帳として現存する最古の記録。乾斎老人筆記。維新の神仏分離令以前の社号と神主,別当名が分かる貴重な記録。著者名・成立年は記録されていない。
成立時期について鹿沼の久我神社の石碑に貴重な文字が刻んであります。kyonsightなりの推定を試みました。「おかみ考」をご覧ください。
『下野掌覧』萬延元年1860年刊
『下野神社沿革誌』明治35-6年1902-3年発行
編輯兼発行者:風山廣雄
神仏分離以後の社名が分かります。漢文訓読調の美辞麗句を堪能できます。
1巻 明治三十六年1903五月十日発行
2巻 明治三十五年1902五月三十日発行
3巻 明治三十五年1902十月十七日発行
4巻 明治三十六年1902日四月廿日発行
5巻 明治三十五年1902七月三十日発行
6巻 明治三十六年1902四月廿日発行
7巻 明治三十五年1902十一月十八日発行
8巻 明治三十六年1903五月十日発行
『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行
河野守弘(1793-1863)著
「三之巻と四之巻 神祇鎮座」に比較的大きな神社が61社収録されています。早稲田大学図書館蔵PDF版を使っています。
『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行 1964年(旧版と表記)
栃木県神社庁発行
『栃木県神社誌』平成18年7月12日発行 2006年(新版と表記)
『角川日本地名大辞典・栃木県』昭和59年12月8日発行 1984年
『宇都宮の神社』作新学院高等学校社会研究部2008年発行
■栃木県の神社リストについて
神社庁発行の書籍データベースが基本になります。しかし,これはおそらくアンケートで作成したものと推測されます。国家管理の時代の登録制によって記録された社が基本的に活字にされています。ネット上のリストもこれを継承しています。記録に漏れた社は新版編集時もアンケートの発送先にならず,漏れたままになります。
神社の国家管理をしてはいけない現代では小社は埋もれてしまうばかりです。書籍に紹介されるのは大きな神社だけです。
そこで5年ほど前から古記録と現代のリストをもとに紙の地図やネットの地図,国土地理院の神社マークをたよりに栃木県に限ってリスト作成を続けております。さらに脚をたよりに,土地の人のお話をたよりに追加していますが,限界があります。
昭和32年1957刊の『栃木県教育史』第二巻に,昭和15年1940調査の県内神社数が載っており,3309社とあります。社名・鎮座地は載っていません。本文は『栃木県神社誌』のダイジェスト版。
この元データをまだ見ることが出来ません。小生調べより1000社も多いのです。
宇都宮市の場合,栃木県神社庁の神社誌には206社記録されています。平成の大合併前の河内・上河内は除いた数字です。
昭和35年1960刊の『宇都宮市六十周年誌』には163社掲載されています。
kyonsightが追加した社が97社。
さらに古記録記載のうち現在の神社に比定できない社が32あります。
宇都宮市に限って言えば公表されているのは約三分の二で,三分の一は埋もれていました。
kyonsightの調べた384社以外にまだまだ埋もれていそうです。リスト以外にご存じの社をぜひお知らせください。
■最近作新学院高等学校の社会研究部が数年かけて平成の市町村合併前の宇都宮市内の神社をくまなく調査した本を市立図書館で見つけました。貸し出し不可なので,まだ小生のリストと照合しておりませんが,労作です。地元の高校生が神社調査すると県内なんとかなりそうですが。
神社の一覧は時間をかけて民間の誰かがつくらないといけません。それには土地鑑のある方が調べるのが一番です。栃木県全域の暫定的なリスト(2300社)は作成してありますので,調査なさりたい方はご連絡ください。落ちた屋根だけの社や整地されて跡形もなくなった社もありました。記録しておかないといけません。
県南と県北は資金難で回れそうもありませんね。体力・知力も劣化してきましたし。

■栃木県の神社の称号について
明治維新8年前までの江戸時代の称号はつぎのふたつの資料で判明する。150年から210年前の記録である。
1.『鹿沼聞書』の収録数は「高尾大明神八竜大明神」「雷天宮大富士権現」などと区切り無しで植字されている箇所がいくつかあり,これを2社と数えるか判別できないものがあり,正確な神社数ははっきりしないが,1013社で計算した。『栃木県神社誌』昭和39年版に「1214」とあるのは足し算違いで,計算すると「1006」である。小生のデータと7社違うが,もう少し検証したい。
2.『下野掌覧』の収録数は360社で,権現は記録されず,さらに「祭主神主ノ部ノミ載テ寺院村持ノ部ハ載ズ」。
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『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
明神=555(56%)
権現=191(19%)
宮(神明宮・八幡宮・大神宮など)=162(16%)
神社=60(6%)
その他(牛頭天王・八龍神など)=35
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『下野掌覧』萬延元年1860年刊
明神=221(61%)
神社=72(20%)
宮 =57(16%)
その他=10
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『下野神社沿革誌』明治三十五-六年1902-3
神社 =1130(89%)
八幡宮・神明宮など=134(11%)
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以上から江戸時代の称号は「明神・大明神」が56-61%で,「権現・大権現」が19%,「神明宮・天満宮」など宮のつく社が16%であった。
元号が明治に変わるのは慶応4年9月8日だが,その4か月前に神祇官からお達しが出る。
■神祇官事務局達 慶応四年三月二十八日■
一、中古以来,某権現或ハ牛頭天王之類,其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不少候,何レモ其神社之由緒委細に書付,早早可申出候事,但勅祭之神社 御宸翰勅額等有之候向ハ,是又可伺出,其上ニテ,御沙汰可有之候,其余之社ハ,裁判,鎮台,領主,支配頭等ヘ可申出候事 よく見ると「明神」を変更するべしとは書いていないのだが,仏語に解釈されたのか,地方の役人の意向が働いたのか,栃木県では明神号は消失する。
明治三十五・六年1902-3刊行の『下野神社沿革誌』には「明神・権現」はゼロである。徹底して「神社」に変更され,89%を超える。天王宮などの例外を除き,神明宮など宮のつく社は変更されなかった社も多いが神明神社,八幡神社になった社もある。
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神仏分離の嵐は,栃木県では廃寺334の数となって現れる。通達を拡大解釈した官吏の横暴強欲については南方熊楠の『神社合祀に関する意見』に詳しい。青空文庫で読める。合祀については「喜連川の神社」に触れておいた。
このとき大明神などの称号変更だけでなく高於加美大明神や日輪大神宮高於加美神社も『日本書紀』の神名をとって高龗神社となり,「尾」字の高尾大明神も高龗神社に変わる。現在の社名は江戸末期から明治初年に決められた社号を踏襲している。たまに磐裂神社が星宮神社になったり,その逆も見られるが。
鹿沼栃窪鎮座の山王大権現が君子神社に改称されたのは維新6年前で,王政復古を推進する集団がいたのだろうか,珍しい例である。
時を経て,国家神道から自由になった現在では,隠しておいた大明神額を架ける神社がある。社号標と拝殿額で社号が異なるのはそのためである。

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