主祭神:事代主命 配神:聖徳太子
大前神社の境内社として古聖神社が記録され,境内には見つからなかったのでここがそのようだ。大前神社西側駐車場入口からは100数十メートルか。
昭和53年1978に書かれ,平成9年に建て替えられた由緒看板がある。下の方が読みにくいが大筋は分かる。ここに驚くべきことが書かれている。
「大前神社と並び建てられていた荒橿神社が二社の維持困難のため大前神社に合祀せられ」,つまり,焼失したり荒廃したのではなく,経済的合理性から大前に合祀したと読める。しかも合祀の後の貞観四年の年号が問題となる。
つまり、延長五年927年に『延喜式』の巻九・十として成立したのが「延喜式神名帳」なので,貞観四年862より65年後になる。
この再建由緒が正しければ,真岡で延喜式に記録されたのは大前神社だけということになる。延喜式内社は下野国では11社しか記録してくれなかったのである。荒橿神社は延喜式成立の65年以上前に大前神社に吸収されているので,延喜式神名帳が相殿をわざわざもうひとつの社のように記録する合理的理由はない。合祀された真岡の荒橿神社は延喜式に記録された社ではなく,後世荒橿を自称した社にすぎないことになる。古聖神社の由緒には,たしかに荒橿神社が延喜式内社であるとは書かれていない。
この由緒が大前神社本殿の西300メートルにある古聖神社に伝わっていることはけっこう重要だと思うのだが,出所が明らかでないので,素人考えか。1100年の時の隔たりは大きい。
再建由緒 この古聖神社は古く延喜式内社○る大前神社と並び建てられていた荒橿神社が二社の維持困難のため大前神社に合祀せられ○後,貞観四年(西暦862)円仁(慈覚大師)が大前神社と天台宗黒子の千妙寺とが習合し神仏混交○た○別当として小聖に大前山般若寺○田○地○○○東○川べ○○創立したとき,境内社として小社を建て守護神としたものであります。般若寺が移転した後もこの小社へ古聖神○を残し氏子が毎年十一月十五日を期し…北真岡区画整理事○…真岡市の援助を得,又信徒の寄進によ小社再建し小聖(古聖)の名を残し子…に中郷大日堂も般若寺の縁起と同時○古聖神社と同方角に建てられたものであります。昭和五十三年1978十一月二十三日午前十時 付記,平成九年十一月二十三日この由緒書を再建す 総代誌す
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由緒書 |
少し拡大・色補正 |
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古聖神社 |
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手水石 |
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左手 |
右手 |
右奥の森は大前神社 |
【参考】
→茂木の荒橿神社