二荒山神社

[ふたらさん神社]

日光市・山内2307

主祭神:二荒山大神[ふたらやまのおおかみ]= 大己貴命,田心姫命,味耜高彦根命
別宮:本宮神社(味耜高彦根命) 瀧尾神社(田心姫命)
境内地1029万3千718坪,伊勢神宮に次ぐ神域を持つ。
神橋三差路の突き当りに「本宮神社」社号標があり石段が見える。その左隣りに「東照宮・輪王寺・二荒山神社参道」の石の標識が立っている。その左手,神橋の真向いの鳥居は「深沙王堂」。
勝道上人が男体山登攀を発願し大谷川を渡ろうとしたが激流に阻まれた。信心に応えて異形の神が出現し蛇を二匹投げて橋のかわりとすると,鱗に山菅がからみつき足場となった。これによって山菅の蛇橋[じゃばし]と名付けられたのが今日の「神橋」である。大同三年808頃には架橋され,1000年以上前の『枕草子』六十一段に「橋は,…山すげの橋」と記録される。異形の神深沙[じんじゃ]大王は神橋正面の「深沙王堂」に祀られる。
無事川を渡った上人が登頂前に大谷川の北に二荒山大神三神を小祠に祀ったのが「本宮」の起源で,時に1250年前の神護景雲元年767であった。大同三年808下野國国司橘利遠によって社殿が造営された。
勝道上人は二度の挑戦断念を経て,ついに天応二年782三月男体山登頂に成功する。山頂に二荒山大神を小祠に祀って「奥宮」を創建する。延暦三年784には中禅寺湖畔に「中宮祠」がつくられた。
神橋北に「本宮」,今のいろは坂を登り切った湖畔に「中宮祠」,男体山頂に「奥宮」の壮大な構図が完成する。
さて神橋すぐ東で大谷川に合流する稲荷川の決壊を恐れ嘉祥三年850陽明門付近に遷宮して「新宮」と称した。損壊をまぬがれた旧社殿は味耜高彦根命一柱を祭神とし「本宮」とした。正式名称は「二荒山神社別宮本宮」である。本宮裏手の四本瀧寺(紫雲龍寺)も上人の創建で,こちらが先に登山基地の役割を果たした。規模としては庵を結んだというところだろう。
新宮は仁平三年1153常行堂より後の山奥に遷座し,建保三年1215現在地に遷宮,これが二荒山神社本社である。
稲荷川沿いに北上すると上人の霊廟「開山堂」,つづいて境内社「北野神社」,白糸の滝の上に別宮「瀧尾神社」が鎮座する。瀧尾神社は弘仁十一年820空海によって田心姫命を祭神として創建されたという伝説が残っている。空海が日光に来たという記録はないが,真岡出身の勝道上人の方が沙門空海より半世紀ほど先の修行者であったことを記しておきたい。
県内の神社の由緒で「日光三社」より勧請などといわれるのは本社の「新宮」,発祥の「本宮」,別宮の「瀧尾神社」の三社をさした。
現在は山内の「新宮」は「本社」と呼んで本宮と区別する。
■二荒山神社には神域の宏大さもあって境内社が多数鎮座する。本殿左手に「朋友神社」,拝殿左手に「日枝神社」があり,本社周辺の別宮瀧尾神社に「稲荷神社」,「北野神社」「瀧尾高徳水神社」「八坂神社」,寂光の滝の「若子神社」,中宮祠に「稲荷神社」,奥宮に「瀧尾神社」「太郎山神社」,さらに周辺の高山の太郎山に「太郎山神社」「月山神社」,大真名子山上に「大真名子神社」「御嶽神社」,女峰山,小真名子山,赤薙山,前白根山,奥白根山山上にも山名を冠した末社が鎮座する。地図で見ると壮大である。
本殿:元和五年1619徳川秀忠公奉納 拝殿:正保二年1645 神輿社:寛永十八年1641 大黒殿:延享二年1745
例祭:4月17日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-5丁
上都賀郡日光町大字日光鎭座 國幣中社 二荒山神社 祭神 大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 祭日四月十七日 宮司正六位園田弘
本社は始め新宮權現と稱し僧勝道の創立にして後遷移一ならす 建保1213~19年中以后兵亂相續き宮殿殆と頽廢に歸せしを東照宮遷座の後ち徳川將軍家光本社を改造せしめ大に宏壯美觀を増す 表に青銅の華表あり 本殿は八棟造り濱縁向拜附總朱塗にして承塵欄間には鳥獸花卉を刻し施すに五彩を以てす 燦然として人眼を射る 拜殿は間口七間奥行四間半總朱塗にして正面に唐門あり 左右の瑞籬繞りて本社の後に達し唐門の内は則ち本殿なり 其側らに⾭銅の燈籠あり俗に化燈籠といふ高さ七尺ありて正應五年1292鹿沼入道教阿の奉納なり 境内には神庫及ひ舞樂殿社務所等あり 又舊別院の前を過き丘陵の頂上には二荒山別宮瀧尾神社あり 祭神田心姫命にして楼門あり拜殿あり 本殿は濱縁向拜附總朱塗にして頗る輪奐たり 二荒山本社の大祭典には神輿は瀧尾別宮へ渡臨し其式古雅にして今尚延年の舞其他數種の舞樂を奏す 南湖叉は幸の湖と云ふ湖畔に中宮祠あり 此處より阪路を登る三里男體山の頂きに二荒山神社の奥宮あり 毎年八月五日より七日間古例により登拜の神事を執行し白衣を着たる講中の信者四方より麕至して頗る雑踏を極む

*日光二荒山神社そのものがもつ情報が無限にあって半世紀かけても調べは終わらないと思うので,小生はこのへんでやめておきます。
日光二荒山神社公式ホームページ 由緒にある地図が分かりやすい。
本宮神社近辺は"Welcome to Nikko"に詳しく紹介されています。
本殿は修復中 拝殿 拝殿内
由緒 神門 親子杉
夫婦杉 神楽殿
巨杉多数 神門 三本杉
三本杉は神楽殿となり 境内案内図 本殿修理案内
ここから200円 神楽殿方向 日枝神社
日枝神社 神輿舎
神輿舎 中央:本社神輿
 
右:瀧尾神社神輿 朋友神社[みとも]
燈籠

唐銅燈籠=化燈籠[ばけとうろう]

■唐銅燈籠=化燈籠[ばけとうろう]・石燈籠
「正應五年壬辰1292参月一日」とくっきり刻んである。これまで見てきた栃木県内神社の中で二番目に古い燈籠。日本一古いと思われる神社の石燈籠は栃木県にある。宇都宮市福岡町の日枝神社に現存する大同二年807の一対。
1600年代半ばの燈籠ですら珍しいので,一気に350年ほど遡ってしまった。「新宮御寶前御燈爐一基」と「爐」の文字。「願主鹿沼権三郎入道教阿/并清原氏女敬白」
境内の燈籠数は27基と記録されている。読めるものでは「明暦二年1656日光山新宮大權現」「宝暦十四年1764新宮大權現」「安永八年1779」「寛政十年1798三社大權現」「文化二年1805」「文化十二年1815三社大權現」「文政二年1819」「天保三年1832」「嘉永四年1851」 神門前に「文化十一年1814」,遥拝所鳥居脇に「享保十年1725常夜燈降魔□」,霊泉前に「天保三年1832三社大權現」石燈籠。 最古の宝物は弘仁十一年820頃の空海自筆の瀧尾神社楼門「女体中宮」額,ほかに建治二年1276太刀,貞治五年1366の大刀,康応(北朝)元年1389銘の金銅装飾神輿,永正十年1513温泉神社銅祠など,見ることは適わないが他の神社ではまず考えられない貴重品を多数所蔵している。
化燈籠左手 化燈籠左手
化燈籠脇・右奥に狛犬 明暦二年1656 本殿にいちばん近い参拝所
本殿の一部
■大黒殿・高天原
神輿舎となりに大黒殿 大黒殿前の丸石は寛文五年1665
大黒殿天井 大黒殿内の太刀
高天原
弥生祭で高天原神事を行う 御神木
小授け・安産の石 縁結びの笹 若子[じゃっこ]神社遥拝所
大猶殿が見える
遥拝所方向 日光連山遥拝所鳥居
二荒霊泉鳥居 二荒霊泉
二荒霊泉解説 二荒霊泉
二荒霊泉 日光銭洗所と弁財天
■御神木・高野槙
樹齢700年超の境内最大の御神木
高野槙 樹齢千年超 3本生育している
高野槙 高野槙の幹 空海が植えた!と伝わる
御神木 高野槙 間近に見るとすごい高野槙

二荒山神社鳥居

大きな鳥居は二基あって,神橋の方から歩いてくると石製鳥居,東照宮の五重の塔から歩いてくると楼門があって寛政十一年1799造替の銅鳥居。
右奥に駐車場
神門 神門手前 杉に楢のやどり木
東照宮五重の塔の手前の案内板 東照宮から二荒山神社への参道 企業奉納の燈籠が多数
参道の巨杉 楼門 日光大権現
東照宮から来ると楼門のつぎに鳥居 二荒山神社 楼門の先に東照宮
鳥居亀腹 社務所 県内の酒造からの奉納酒樽
本宮

二荒山神社別宮本宮神社

[ふたらさん神社べつぐうほんぐう神社]

日光市・山内2307

主祭神:味耜高彦根命[あじすきたかひこねのみこと]
玉垣内に「慶安三年1650」の貴重な石燈籠。「延享元甲子年1744」水盥石。玉垣前の角柱燈籠は「明和三己丑1766」
「文化十一甲戌歳1814」石燈籠に「三社大権現」の文字。ほかに享保十六年1731石燈籠。
石段を上がったところの「正徳三癸巳年1713」石燈籠に「本宮大權現御寶前」
「寛政十二庚申年1800」石鳥居。鳥居脇の「宝暦三年175癸酉歳」水盥石に「本宮神前」。
本殿・拝殿:貞享二年1685
例祭:4月17日
本宮北の四本龍寺に護摩壇が保存されているが,同形式の護摩壇を輪王寺別院中禅寺境内に見ることができる。
本殿 本殿装飾
拝殿
玉垣内 慶安三年1650四月十七日
本殿前 三社大權現
延享元甲子年1744 本宮大權現御寶前
正徳三癸巳年1713十月十八日
笈掛け石
こぶ杉 神橋方向を見下ろす
寛政十二年1800石鳥居
本宮神前
神橋向かいの入口 日光幼稚園となりの入口
四本龍寺観音堂 金鋼堂とも 金剛山額
三重塔 新宮本殿から三重塔
不動明王と護摩壇
紫雲石
瀧尾神社

二荒山神社別宮瀧尾神社

[ふたらさん神社べつぐうたきのお神社]

日光市・山内2317

主祭神:田心姫命[たごりひめのみこと]
弘仁十一年820空海によって創建されたという伝説が残っている。日光において空海は空を飛んできたかのように時空を超えて来日光を信じられている。日光三社の一。瀧尾権現と称し本地仏阿弥陀如来を祀った如来堂があった。
この日は早朝のこともあって全山霧に包まれ,写真にもやがかかってぼけて見えるのは霧のためで,なかなかに荘厳な雰囲気なので補正せずにオリジナルのまま掲載します。霧が目の前をゆっくりとたなびくさまも見えました。
最初の建物は楼門。もう少し下にあったが「元禄十年1697」に新築移転した。門をくぐると「正徳三年1713頃」造営の拝殿。つぎに唐門と玉垣のある本殿。本殿の裏手に鳥居があり,玉垣の中に三本杉。
「正徳三年1713」造営の本殿の裏壁には扉が設けられており,開けると本殿から鳥居を通して三本杉の彼方に神峯女峰山を拝する構造になっている。
三本杉玉垣手前の円柱石燈籠は「享保十六辛亥年1731」
(楼門手前の「瀧尾神社」案内板に正保三年1646建立とあるので社殿の建立と混同されているが,正保は仁王像建立の年代か,あるいは正徳三年の誤記か)
例祭:4月17日
左:本殿 中央:拝殿 右:楼門
楼門 楼門解説 拝殿横から楼門
楼門 仁王像はいない 楼門をくぐると拝殿
拝殿 本殿の唐門
本殿の正面扉 総漆塗
本殿・唐門解説 本殿前の縁結び笹
本殿左手 本殿左手の杉
拝殿から楼門方向 寛文四年1664石燈籠 楼門脇
楼門脇から天狗沢 御神木,稲荷神社へ
無念橋(願い橋)解説 延宝五年1677無念橋と三本杉鳥居 本殿方向
鳥居左手の三本杉解説板 三本杉解説 本殿背後から三本杉
鳥居右手の解説板 御神木瀧尾三本杉 本殿背後に扉
三本杉には紙垂 右手 左手
横たわる初代御神木 岩のようだ
■瀧尾稲荷神社・酒の泉・子種石
弘仁十一年820空海によって創建されたという伝説は瀧尾神社本社と同じ。
「子種石」「元禄十一年1698」石燈籠に「昭和41年1966九月洪水により流失□昭和44年1969十月□□」とある。子種石の脇に川が流れ,沢になっており,氾濫で流失したものを発見して再建した旨を刻んだ。
瀧尾稲荷神社解説 稲荷神社
本殿 昭和46年1971狛犬
瀧尾神社本殿方向 遺構
稲荷神社から無念橋方向 下がった川沿いに酒の泉・子種石 酒の泉解説
天狗沢?か 酒の泉 酒の泉の石磴
子種石の脇に沢 子種石から稲荷神社方向 子種石木鳥居
子種石解説 子種石石鳥居 子種石
かなり大きい
鳥居脇 稲荷神社より低いところに
■入口から・運試し鳥居・白糸の滝
神橋から稲荷川沿いの山道を北上して白糸の滝を目ざす。車一台分の車道に沿って径20センチほどの玉石を敷き詰めた史跡探勝路がずっと続いている。左手は山の斜面になっていて古木がごろごろ生えている。山中に鹿もいた。とても気持ちのいいところ。最初の建造物は開山堂。勝道上人の廟所がある。つぎに北野神社,田心姫命の手掛石などがあって白糸の滝に至る。右手に瀧尾高徳水神社。ここに20台ほど駐車できる。左手に入ると石段が上まで続いている。
登り口右手は「寛延二巳年1749」石燈籠,左の三重塔は「延宝七己未年1679」
石段の途中には巨大な杉が何本も生えていて,その存在感に圧倒される。
最初の小さな鳥居に不明の座像が祀られている。明治三十六年1903奉納で,槌のようなものを持っている。
つぎは別所跡。そのとなりの石敷の奥に影向石。苔むした巨岩が祀られている。
「元禄九年1696」一の鳥居脇に「享保四己亥1719」石燈籠。
高徳水神社前の標識 入口の寛延二年1749石燈籠 延宝七年1679三重塔と社号標
ここを上る 石段脇の大杉
明治三十六年1903奉納
霧の彼方に鳥居 別所跡解説 影向石[ようごうせき]解説
影向石への石敷 苔むした影向石
かなり大きい 元禄九年1696石鳥居
運試しの鳥居解説 この穴を通す 享保四己亥1719石燈籠
振り返る 楼門が見えてくる 正保三年は何をさすか?
参道の巨杉 天狗沢を見下ろす 楼門から見た参道
見事な石敷 楼門の石組 大杉多数
楼門左手の巨杉 根本で融合している
巨杉から天狗沢 帰り道 下る
上り口が見えてきた 上り口手前の杉の威容 入口に戻る
白糸の滝 滝手前の古杉 白糸の滝解説
白糸の滝 この日は水量少なめ 大正五年1916
駐日米国公使の碑 滝右手前の石像
本殿脇 本殿脇 滝手前

 

 日光の神社目次へ   中宮祠へ 
 ページトップ